History



History
       
The History of トマト
6月29日放送 (# 38)
 
トマトの原産地は南米のエクアドルやペルーなど、アンデス山脈の高地と言われていて、現在も8〜9種類の野生種のトマトが自生をしています。中でも代表的な野生種のトマトが「リコペルシコンピンピネリフォリウム」。
 
 

食用のトマトとして最初に栽培したのはメキシコです。そのメキシコに1519年上陸したスペイン総督のエルナン・コルテスがトマトと出会い、1544年に祖国に持ち帰ります。しかし当時のヨーロッパにはマンドラゴラと呼ばれる非常に有毒だと恐れられた植物があり、それとトマトが同じナス科だったと言う事から食用として扱われず、むしろ嫌われ者の植物でした。

マンドラゴラ
 
 
そんな中、16世紀スペインの統治下にあったイタリア人が、食糧難により毒を覚悟で食べてみた所、毒などは当然無く、思ったより美味しかった事から品種改良を行い、17世紀に入ると現在あるようなトマトが貴族の食卓にも並び始めるまでになります。この頃ナポリの料理人であるアントニア・ラティーニが考案して生まれたのがトマトソースです。「茹でた肉に、このソースをかけたものが世界で最も古いトマト料理である。」と文献にものっています。そして1830年代に入ってようやくトマトソースとパスタを合体させて食文化が生まれたのです。

日本にトマトが伝わったのは17世紀の江戸時代。ヨーロッパから中国を経由して日本に入ってきます。しかし日本でもはじめから食用化されていませんでした。
 

当時の学者:貝原益軒は「大和本草」のなかでトマトを「唐ガキ」とよんでいます。
「唐ガキ…毒々しき光沢と慣れざる一種の臭気は人々の大いに忌むところにある」
とあるように、当時のトマトは観賞用にとどまっていたそうです。

貝原益軒

 
日本で食用として利用されるようになったのは明治時代。欧米化の波に乗る中、後に日本最大手のケチャップ会社を設立した蟹江一太郎氏が、西洋のトマト加工品を参考に、明治36年日本で第1号となるトマトソースを完成。5年後にはケチャップとウスターソースを完成させました。これが洋食屋で使われ、トマトを食べる事が徐々に日本人の間に浸透していきます。

このように、最初は加工品として受け入れられたトマトですが、これがいつの間にか生でも食されるようになっていきます。きっかけは22年前の1985年、日本のトマト界に革命的品種「桃太郎」が誕生したことからです。桃太郎が出回る前のトマトは果肉が柔らかい為、未完熟のまま出荷していましたが、桃太郎は果肉が引き締まっているため完熟させてから出荷できるため、甘いトマトが食卓に届くようになり、生で食べる習慣が根づいたのです。
 
 

現在では日本で出回っているトマトの約9割が桃太郎品種と言われています。はじめ嫌われ者だったトマトでしたが、今では世界の野菜の中で生産量ナンバーワンを誇っています。

全国の品種
 
  バックナンバー  
ピーマン たまねぎ わさび
海老 鶏肉 ジャガイモ
にんじん 鰹 アスパラガス
羊 山菜    
       
BS-i Onlineトップへ