History



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The History of ジャガイモ 「人類の救世主!ジャガイモ」
4月20日放送 (# 28)
 
<世界での歴史>
原産地は紀元前3000年から南米のペルーからチリにかけた地域と言われています。涼しい気候にも適し、収穫量も多く、栄養満点という利点からジャガイモを栽培していました。
その後1530年代、この地域の黄金伝説を追って侵略したスペイン人が初めてジャガイモに出会い、1565年、ヨーロッパに上陸します。
 
 

しかし、その頃のヨーロッパ人はジャガイモの見た目の悪さ・病気にかかる・人を淫らにする・聖書に出てこないという理由で気味悪がって、長い間、食用にはされなかったのです。

何故、じゃがいもがヨーロッパで普及しなかったのか?
 
 
しかし、プロイセン(現在のドイツの一部)の国王フリードリヒ2世大王が長年に渡る穀物凶作の解決策としてジャガイモの栽培を国民に命令し、ジャガイモ普及大作戦が始まるのです。命令に背くものは鼻と耳を切り落とすと宣言。この荒療治が成功し、飢饉が救われました。

<日本での歴史>
日本にやって来たのは1576年。オランダ商人によってジャワ島の都市ジャガトラから長崎へ持ち込まれました。当時はジャガタライモと呼ばれ、その後現在のジャガイモという呼び名が定着したと推測されています。
日本の作物学上の呼び名は「馬鈴薯」(ばれいしょ)。形が馬の付けている鈴に似ている事から付いた名前といわれています。
 
 

食用として普及したきっかけは江戸時代の三大飢饉(天和年間1681年、延享2年1745年、天保7年1836年)。これにより真価が認められて全国に普及していったのです。

江戸三大飢饉

 
ヨーロッパ・日本の飢饉を救い北海道の開拓にも貢献したジャガイモはやはり人類の救世主とも言えるでしょう!!

<日本にあるジャガイモの種類>
男男爵とメークイン、この2品種だけで日本の生産量の約5割にもなります。
「男爵薯」は北海道開拓が始まった明治時代に川田男爵がアメリカ生まれの新品種を作付けしたもの。
「メークイン」は大正初期から栽培されたもの。
男爵薯はデンプンが多くホクホクした食感が得られ、一方メークインはねっとりしていて、煮くずれしないという対照的な特性をもつこの2つがあればどんな料理にも対応できるので、今でもこの二大品種が人気絶大。

その他
○ ノーザンルビー
中はピンク。鮮やかなな色彩がインパクト大。
一般的なジャガイモと比べ栄養価が高い。
○ インカのめざめ
一口サイズとちいさめ。栗やサツマイモのような風味があり、中は濃い黄色。皮ごとフライドポテトにすると美味.
○ シャドウクイーン
中は濃い紫色
ジャガイモ市場の活性化と新規需要の開拓を狙った取組のなか開発された品種
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