日本人と山菜のかかわりは古く、縄文時代には食べられていたと考えられています。
日本最古の歌集「万葉集」には数々の山菜が登場します。 例えば、奈良時代の歌人・山部赤人はこんな風に詠みました。 「明日よりは春菜摘まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」
米沢藩九代目藩主・上杉鷹山は凶作に備え、藩医に山菜の食べ方などを調べるように命じ、1802年その研究を具体的に述べた「かてもの」を刊行し、農民・町民に配りました。最初に書かれてある「いたどり」の項には「能(よく)ゆびき麦か米かに炊合わせてかて物とす。ただし妊婦は食うべからず」と述べてあります。