History



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The History of 山菜
5月4日放送 (# 30)
 

日本人と山菜のかかわりは古く、縄文時代には食べられていたと考えられています。

 
 

日本最古の歌集「万葉集」には数々の山菜が登場します。
例えば、奈良時代の歌人・山部赤人はこんな風に詠みました。
「明日よりは春菜摘まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」

明日よりは春菜摘まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ
 
 
明日こそ春の若菜(ふきのとう)を摘もうと思うのに昨日も今日も雪が降り積もりなかなか山菜が採れない…!!という意味です。
万葉集には、わらび、よもぎ、のびる、せりなどたくさんの山菜の名前が登場します。
平安時代には七草粥の風習が広まった事から、山菜は体にいいものとしても広がってきたといえます。
江戸時代になると、江戸三大飢饉において食糧難に陥ったのをきっかけに、色々な種類の山菜が新たに発見され、さまざまな食べ方が考えられました。
 
 

米沢藩九代目藩主・上杉鷹山は凶作に備え、藩医に山菜の食べ方などを調べるように命じ、1802年その研究を具体的に述べた「かてもの」を刊行し、農民・町民に配りました。最初に書かれてある「いたどり」の項には「能(よく)ゆびき麦か米かに炊合わせてかて物とす。ただし妊婦は食うべからず」と述べてあります。

杉山鷹山

 
そしておよそ30年後に起った天保の飢饉では全国で大勢の餓死者が出たにも拘らず、米沢藩では「かてもの」に書かれた山菜のおかげで、餓死者の数が非常に少なくてすんだといいます。
「かてもの」には約80種類と書かれていた山菜も現在日本では、約300種類の山菜が食べられています。
<代表的な山菜>
○ワラビ
全国の山地、草地などの排水と日当たりの良い土地に生える。こぶし状に巻いた若芽を食用にする
○ゼンマイ
全国の山地、原野、湿地に生える。こぶし状に巻いた芽を食用にする
○フキノトウ
平地から山地まで、湿り気の多い川岸や谷筋に生える。
○ウド(ヤマウド)
全国の山野に自生。
○タラノメ
草原や林道の路肩など日の良く当たる全国の山野に自生する。
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