にっぽん歴史街道

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2012年8月9日

中山道・信濃路〜軽井沢から諏訪湖へ〜

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山々を縫うように江戸と京都を結ぶ中山道。
中でも風の音、鳥の声を感じながら歩く信州・信濃路は女性に人気がありました。
今や高級別荘地の軽井沢も、一昔前は寂しい宿場町。
避暑地・軽井沢が誕生したヒミツに迫ります。
旅の目的地・諏訪には、人々が七年も心待ちにする祭りがありました。
今回は、大人の夏休み信濃路を旅します。

碓氷峠

上州最後の坂本宿から標高差700mを一気に登らなければならない碓氷峠最大の難所。碓氷峠へ向かう旧中山道が今も当時のまま残る。

めがね橋

横川から軽井沢間の鉄道の開通を最後まで阻んだ碓氷峠の急こう配。このめがね橋を渡ってようやくドイツのアプト式列車が走った。レールと車輪の両方につけた歯車を噛み合わせて急こう配を登ったという。今は廃線になったが、美しい橋を残している。

軽井沢ショー記念礼拝堂

軽井沢が現在のような避暑地になるきっかけとなったのが、イギリス人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー。軽井沢の涼やかな緑の風が母国スコットランドのようだと気に入り、この地に最初の別荘を建てた。それがきっかけで外国人が集まってきた。現在は教会の隣に別荘を復元した『ショーハウス記念館』を見学することもできる。
住所:長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢57-1

塩名田宿(しおなだ)

江戸幕府が千曲川氾濫の危険を考え その手前に宿場町を建てようと塩名田北方に散在していた農家40軒を移住させたのが始まり。明治時代には花街として木造三階建ての家が並ぶほど賑わった。

茂田井 間の宿(もたい あいのしゅく)

当時の宿場町の雰囲気を今も残す。和宮の大行列は小さな宿場町にも火事場のような騒ぎを起こした。

笠取峠の松並木公園

厳しい風雪から旅人を守るため幕府によって街道沿いに松が植樹された。今では国道から少し離れた所で松並木公園として保護されている。
住所:立科町大字芦田3797-2
山部交差点から国道142号線バイパス長門方面へ300m

諏訪大社

神話の時代にその起源を持つ古社。諏訪大社では年間200以上といわれる数々の神事が行われている。
人々にとって特別な祭りが…「御柱祭」
日本三大奇祭の一つで、『人を見るなら諏訪の御柱に行け』と言われるほど昔から人々が集った。7年毎の寅と申の年に行われ、次回は2016年。まだ4年もあるのだが、祭りの準備はもうすでに始まっている。

今回訪れた街道

万平ホテル

ジョンレノン、天皇皇后のロマンス、室生犀星など多くの文人や財界人にも愛された軽井沢を代表するホテル。部屋に入ると都会の喧騒を忘れ静寂に包まれる。外国人に人気だったのが『ニジマスのムニエル万平スタイル』。しかし西洋化の象徴ともいえるホテルに意外なモノが描かれていた…
住所:長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢925
TEL:0267-42-1234

つるや旅館

江戸時代・初期に開業した由緒正しい名旅館。軽井沢では珍しく今なお当時の旅籠の面影を残す。旅籠時代は休み茶屋として旅人に強飯、ざるそば、煮しめなどを食べさせていた。旅籠であった事を物語る大飯びつと銭箱がつるや旅館に今も残っていた。
住所:長野県北佐久郡軽井沢町旧軽井沢678
TEL:0267-42-5555

佐久ホテル

18代580年続く歴史と伝統の宿。千曲川の冷水で身が締まり、泥臭さがないという名物『佐久鯉』を頂く。創業以来の継ぎ足しのタレで味わう「うま煮」は絶品。そして佐久市が世界で初めて養殖に成功した『信濃雪鱒(しなのゆきます)』もお造りで頂く。
住所:長野県佐久市岩村田今宿553
TEL:0267-67-3003
予約専用0120-3951-77

聴泉閣『かめや』

皇女・和宮が泊まったという名旅館。和宮が宿泊した『上段の間』が現在も見学できる。また、諏訪大社の女神が沸かしたという『綿の湯』は柔らかい泉質で今も宿泊客に人気。
住所:長野県下諏訪町横町木ノ下3492
TEL:0266-27-8023

玉屋ドライブイン

江戸時代、山頂付近にあった四軒茶屋。その中で唯一今も営業を続けているのが『玉屋ドライブイン』。旅人に碓氷峠名物として人気があった『力餅』が今でも玉屋の名物として残っていました。