11月24日放送 (# 7)
「〜バター 食材への苦難の道〜」
バターを作り始めたのはメソポタミア王朝と言われています。
世界最古の文明発祥の地・メソポタミア王朝の遺跡から発見された紀元前8500年前頃のもので、石版には牛からミルクをしぼり乳製品を加工する人々が描かれています。つまりこの頃から牛を家畜化しそれを乳製品に加工する術を知っていたという事になります。
実は当時、バターは食べるだけではなく、もっと重要な役割がありました。
バターは薬として使われていたのです。
「種馬の乳を木桶に入れ撹拌し、浮かび上がってきた美味なるものを食したり肌に塗ったりする」
食べるだけではなく、バターは薬として肌に塗り、薬馬車の潤滑油にも使われたこともあったそうです。
中央アジア、ロシア、モンゴル、チベット、中国東北部、華北、華中地帯や韓国をたどってきた、華北系大根。この系統は、根が中型や大型で肉質は厚くて硬く、多様な色素もあり耐寒性と貯蔵性が高い。辛味も強く、主に漬物や生食、薬味などに適しています。
その頃、バターを食べていたのは主に遊牧民家だけでした。そのため、イタリア半島のローマ共和国(後のローマ帝国)では「野蛮人の食べ物」(イタリアの上に貼る)と言われていたのです。
しかし遊牧民にとっては乳の利用は牧畜文化の産物。特にバター作りは重要な物でした。遊牧民が実際に使っていたバター作りの道具、バターチャーンをお借りしてきました!
1858年頃のギリシャ製で木の桶に乳を入れて棒でかき混ぜる
壺に乳を入れ2人棒をひっぱりながら撹拌する。
1895年頃のトルコ製
今のバターチャーンの原型で回して撹拌
ヨーロッパでバターが食用にされるようになったのは6世紀のフランス。貴族の間で広まったのがきっかけです
では日本にはどのようにバターが伝わったのか?
フランスでバターが食べられる時と同じ6世紀頃、インドから中国、朝鮮を経て仏教が伝来、それと伴って乳を利用する文化も渡来。しかし、バターは貴族や天皇家の人々の手にしか入りませんでした。奈良時代の木簡は、今の総理大臣にあたる方の屋敷から発見されたものです。
“近江国生蘇三合”はどういう意味かと言いますと・・・
「近江国(いまの滋賀県)から生蘇という乳の加工品が献納された」
という事なのです。つまり「蘇」が今のバターにあたります。しかし、食べていたのは貴族だけでした。
では、一般に利用され始めたのはいつ頃か…?
そのきっかけはこの方、「酪農の父」アメリカ人エドウィン・ダンさん。
ダンは明治8年、明治政府がかかげた開拓使十カ年計画の為 アメリカの農業指導者として北海道に来日。ダンは原始林を開き各地に牧草地をつくったそしてアメリカから乳牛を入れ、飼育管理の方法、バターの作り方も教えたという事です。北海道開拓の為に25歳で来日してから亡くなる82歳まで日本を愛し、日本の乳食文化の為に奮闘しました。
その多大な貢献はあまり知られていませんが、今でも北海道の真駒内にある公園にはひっそりと銅像が建っています。
以上、今回の基本の基でした。
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