10月27日放送 (# 4)
日本人は一体いつからマツタケを食べていたかご存知ですか?
これは東北地方にある縄文時代の遺跡から発見されたキノコ型の土(ど)製品。当時の人々がキノコを身近な食べ物としていたと考えられています。さらに、岡山県の弥生時代の遺跡から発見されたのが、マツタケの形をした土人形です。どうやら日本人は、弥生時代にはマツタケを食べていたようです。
万葉集にもマツタケが詠われています
「高松の この峯も狭(せ)に 笠立てて みちたりたる 秋の香のよさ」(万葉集 第10巻 詠み人知らず)
笠たてては→マツタケのこと。秋の香→マツタケの香りのことです。峰も狭いほどにいっぱい満ちている秋のマツタケのなんと香りのよいことか。平安時代の貴族はマツタケ狩りを季節の行事として楽しんでいました。紅葉狩り、花見などと同様の文化的なイベントだったというわけです。
かの豊臣秀吉もマツタケ狩りがたいそう好きだったようで、秀吉がマツタケ狩りに行く時は家来たちが先回りして、あちこちにマツタケを植えたというエピソードも残っています。
江戸時代になると、庶民もマツタケ狩を楽しみ、当時の料理本には10種類のキノコの調理法やキノコの栽培の様子も描かれています。
そんなマツタケですが、国内の自給率は2003年でたったの3%。世界のおよそ10カ国から輸入しています。その内訳は・・・一位は中国で輸入量半数以上を中国が占めます。以下北朝鮮、韓国、カナダ、アメリカと続き、トルコ、メキシコ、モロッコ、ブータン、ウクライナ、タイなどから輸入されています。
輸入にたよらず、なんとか国内でマツタケを人工栽培しようと試みて出来たのがコレ!「松きのこ」です。松茸菌とシイタケ菌を掛け合わせてできた松きのこは、一時、人工栽培マツタケとして話題になりましが、シイタケと判定されたのです。
また「松なめこ」は、なめこにマツタケ菌を掛け合わせた新種のきのこです。ちなみに今のところマツタケの人工栽培に成功した事は一度もありません。
以上、マツタケに関する基本の基でした
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