10月6日放送 (# 1)
「
『人間はいつから米を作って食べていたのか?』
皆さん、どのくらい前だと思いますか?
稲作の起源は今から5000年前の中国の雲南省
これがずっと定説でした。ところが・・・
長江下流域にある河姆(かぼ)渡(と)遺跡から稲の束がそのまま出土!雲南省より2,000年以上前も前の7,600年前には稲作が行われていたことがわかりました。これがその河姆渡遺跡の写真です。なんとお蚕さんを飼っていたこともわかっています。
これが稲の
長江下流域起源説
。
ところが!
さらに第3の説が浮上!長江中流域の湖南省にある彭(ほう)頭山(とうざん)遺跡から炭化した米が出土!少なくとも8,600年前には稲作が行われていたのではないかといわれています。これが
長江中流域(湖南省)起源説
。
果たしてどの説が正しいのか?
いずれにしてもお隣の中国では7〜8千年も前から米作りは始まっていました。しかし、稲作が日本に伝わったのは今から2,000年前だと言われています。目と鼻の先の中国から日本に米作りが伝わるのに、5千年から6千年もかかったことになります。なぜそんなに長い年月が必要だったのでしょうか?
日本の縄文時代遺跡でも、中国の河姆渡遺跡と同様のものが、なんでも出土しています。ただ、なぜか米に関するものは一切出てきません。なぜ米だけが遅れて伝わったのでしょうか?」
実はその当時の日本は米に頼る必要がなかったのです。つまり非常に豊かであったのではないかと考えられています。米を作らなくてもドングリや木の実が豊富にあって、栽培もしていました。だから、好きなだけ食べられたようです。文化も高く東南アジアなどへも出かけています。だから、大陸との交流はあったけれども、稲作農耕がなかなか伝わらなかったというわけです。
以上、「基本の基」今回は稲作の誕生のお話でした!
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