あのクレオパトラも牛乳を「美容の薬」として使っていたという説がある。 その薬として扱われていた牛乳が日本で「飲むもの」として定着したのは第二次世界大戦後。ごくごく最近のことなのです。そのきっかけは学校給食で出された脱臭粉乳。給食で飲まれるようになるまで牛乳は「薬」として扱われていたのです。
<日本の食卓に牛乳が並ぶまで> 645年(飛鳥時代)仏教による食肉禁止でたんぱく質が不足する中、百済(現在の韓国南西部)からの帰化人が牛乳を孝徳天皇に献上。喜んだ天皇は帰化人に、医師として牛乳を管理する者という「和薬使主(やまとくすりのおみ)」の称号を与えました。
しかし、そんな貴族の牛乳文化も武士の台頭により次第に廃れていきます。15世紀ごろ(室町〜戦国時代)、日本を含む東アジア圏では牛乳を口にする事はなかった。 時は流れて江戸時代。八代将軍・徳川吉宗は「馬の薬」の為にインドから白牛を輸入して飼育を始める。
そして黒船が来航した幕末。アメリカ領理事のタウンゼント・ハリスが幕府に牛乳を飲ませてほしいと漢願。そんな折、函館に上陸していた外国人兵士が農家から牛を盗んで食べてしまうという事件がおきます。困った幕府は牛肉や牛乳は食用としては許可出来ないが「薬」としてなら許すという苦肉の策を講じました。
牛乳が食として日本に根付くのは第二次世界大戦後のこと。食料不足の中「私たちは、日本人の食卓をパンと牛乳の豊かな食卓に変える為にやってきた」というマッカーサーの声を機に食の欧米化が進み、昭和22年(1947年)には全国の学校給食が始まり、脱臭粉乳がここで誕生。実に1300年ほどかけて牛乳は一気に日本の食卓に並ぶようになったのです。