基本の基
「麺」基本の基
       
3月9日放送 (# 22)
 
〜うどんとスパゲティは兄弟!〜
 
 

<うどんとスパゲティの共通項>
原材料は、共に小麦粉。紀元前7000年頃にメソポタミアで小麦の栽培が始まり、世界各地に広がっていったといわれています。
世界の小麦粉文化圏は…

小麦粉文化圏
 
 

中国は「煮る、蒸す」料理法が一般的。
それに対して中国以外の地域では、「焼く」料理法が発達しました。
これが、世界中の麺は、中国がルーツといわれる所以。紀元前4000年頃山東省のあたりには、麺の元祖となる“すいとん”のような料理があったようです。

 
 

一方日本は米文化。米は小麦の約2倍の収穫量があり、食物としての生産率が高いことと、小麦のような複雑な工程が必要なかったことなどが、日本に小麦文化が根付かなかった理由と考えられます。

何故、日本に小麦文化が根付かなかったのか?

 
<日本への伝来>
麺が日本に伝わったのは奈良時代、遣唐使によって唐からもたらされました。この時、石臼も同時に伝わります。
それが、「索餅(さくべい)」と呼ばれるもので、そうめんやうどんの元祖と言われています。そして鎌倉時代。油を塗って麺を延ばす技術が誕生し、面は細く長く延びていきます。さらに江戸時代には、白くて長い素麺が競って作られるようになりました。富山県の「大門(おおかど)そうめん」や熊本県の「南関(なんかん)そうめん」は、長いまま今に伝わっています。因みに、うどんは室町時代に生まれました。

<麺は西へも…>
索餅が日本に伝わった頃、中国の麺は、シルクロードを通って西へ西へと伝わっていったとされます。
西域への伝播に関する有力な説は…
751年に起こった、唐の遠征軍とアッパース朝イスラム軍が激突した「タラス川の戦い」による伝播説。

この戦いで唐軍は大敗。イスラム軍の捕虜となった唐の紙漉き工によって製紙技術が伝わった際、製麺技術も伝えられたのではないか…というものです。こうして中近東や北アフリカにかけてのイスラム圏にも麺文化が広がりました。
実は乾燥パスタは、砂漠を移動するアラブ人が、保存食として小麦を練った生地を乾燥させて持ち歩いたのが始まりと言われているのです。
12世紀初頭、当時のアラブの支配下にあったシチリア島に、乾燥パスタが伝えられ、この地で広く製造されるようになったといわれています。
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