2012年10月22日 放送更新版

放火犯「八百屋お七」が恋心を抱いていた相手はどんな人だったでしょう?
い)若党(士分)
ろ)寺小姓
は)大店の跡取り

- 【回答】ろ)寺小姓(てらこしょう)
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【解説】
天和の大火で、家族とともに円乗寺に避難したお七は、そこで出会った寺小姓と恋に落ちましたが、一ヶ月も経たずに新しい家に戻りました。寺小姓と会えなくなったお七は、火事になればまた会えるかもしれないと思い、自らの家に火を付けました。放火は重罪でお七は火焙りの刑に処せられました。

「白子屋お熊事件」で、実際にお熊の夫・婿養子の又三郎を切りつけた人は誰でしょう?
い)女将・お常
ろ)手代・忠八
は)下女・お菊

- 【回答】は)下女・お菊
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【解説】
「白子屋お熊事件」とは、材木問屋の白子屋に多額の持参金を持って婿入りした又四郎を、お熊と、お熊の愛人で手代の忠八、お熊の母で女将のお常の3人が共謀して、下女・お菊を唆して行った殺人未遂事件です。

「白子屋お熊事件」で、お熊が引き回しされた時の着物はどれでしょう?
い)小紋
ろ)更紗
は)黄八丈

- 【回答】は)黄八丈
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【解説】
お熊は江戸でも評判の美女で、引廻しの時には、多くの観衆が押し寄せました。白襦袢の上に華やかな黄八丈の小袖を重ね、首には水晶の数珠をし、静かに経を唱えていたと伝えられています。

「島津家お由羅騒動」で知られるお由羅は、どこの出身だったでしょう?
い)江戸の町人
ろ)薩摩郷士
は)徳川家

- 【回答】い)江戸の町人
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【解説】
江戸の町人の娘として生まれたお由羅は、三田にあった薩摩藩邸へ奉公に出て、薩摩藩10代藩主・島津斉興(なりおき)に見初められ、側室になりました。「島津家お由羅騒動」とは、正室との間に生まれた嫡男・斉彬(なりあきら)とお由羅との間に生まれた五男・久光の、いずれが次の藩主になるかを巡る薩摩藩のお家騒動のことです。

次のうち井原西鶴の『好色五人女』のモデルとなっている女は誰でしょう?
い)八百屋お七
ろ)白子屋お熊
は)家斉の側室・お美代

- 【回答】い)八百屋お七
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【解説】
西鶴は、著書『好色五人女』の中で、八百屋お七をモデルに「恋草からげし八百屋物語」を書きました。西鶴はお七について、「花なら上野の桜のように、月なら隅田川に映る月影のように」とその美しさを伝えています。