#46 2013年2月18日放送
今週のテーマ:「江戸の豪商」
豪商 紀伊国屋文左衛門。一代で巨万の冨を築くまでには驚くべき戦略があった。そして、豪商・淀屋と鴻池の命運を分けたもの、行商で財を成した近江商人の商人道の極意。今回は江戸の「豪商」に秘められた謎解きです!
俗に言う「江戸の八百八町」に対して、大阪には「浪華の八百八橋」という言葉があります。江戸時代に実際にあった橋は大阪では200本ほどでした。実は、江戸の橋のおよそ半数が幕府によって作られた「公儀橋」なのに対し、大坂の橋は、町人たちが生活や商売のために架けた「町橋」でした。自分たちが作ったのだという大阪町人の自負から「浪華の八百八橋」と名付けたのかもしれません。その中でも、淀屋橋は大阪の「町橋」の先駆けで、豪商・淀屋が架けたものです。初代淀屋は淀川堤防の改修工事を手掛け、財を成したと言われており、二代目言当は大坂を「天下の台所」とした立役者です。言当は、「米市」を淀屋の屋敷前にたてたといいます。その米相場は全国の基準となり、淀屋はさらに冨を増大させていきました。
紀伊国屋文左衛門
東京・江東区にある清澄庭園。一説ではここには豪商紀伊国屋文左衛門の邸宅があったと言われています。そして一代で巨万の冨を築いた紀伊国屋文左衛門。幕府の材木御用商人となり、江戸一番の豪商にのしあがっていきました。しかしその成功の裏側には豪快なプロモーション戦略があったと言われています。そんな彼ですが、生没年もはっきりとはわからず、伝説上の人物との説もあるほど多くの謎に秘められた人物だったのです。
番組内で紹介した浮世絵はドコモのスマートフォン、携帯電話でご覧いただけます。ご紹介する浮世絵は毎週更新しております。