今週の謎

#45 2013年2月11日放送

今週のテーマ:「富くじとご開帳」

江戸時代、一攫千金の夢を賭けて大ブームになった富くじ。さらには寺社の宗教行事、ご開帳。寺社が行った驚きの戦略とは?今回は江戸の富くじとご開帳に関する謎解き!

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江戸のうんちく学

人々が一攫千金を夢見る宝くじ。そのルーツは江戸時代。当時,「富くじ」と呼ばれ、庶民の間で大流行しました。富くじの起源は十六世紀後半の天正年間、箕面の瀧安寺で当選者にお守りを授けた宗教行事でした。その後、徐々に金銭が授与されるようになっていきました。江戸では、元禄から享保期に盛んに行われ、度々禁令が出され、御免富として公に認可されたもののみが興行を許されるシステムが成立しました。これは財政が逼迫していた幕府にとり、拝領金など寺社への直接的な資金援助は負担でもあり、さらには博打を寺社の境内という聖なる空間に閉じ込めるねらいがありました。また、寺社側としても、効率よく資金を獲得できる魅力があったためでした。最盛期には一ヶ月で三十箇所以上の興業が行われ、最も賑わったのは谷中感応寺・湯島天神・目黒不動尊での興行。それらは江戸の三富と呼ばれました。

江戸あらかると

成田山新勝寺

成田山新勝寺

年間1千万人以上の参拝客が訪れるという成田山新勝寺。今も人気のこの寺は、江戸時代初期はあまり知られていない地方の一寺院だったのです。その成田山新勝寺がここまで有名になるには、初代市川團十郎の存在がありました。ある時子宝に恵まれず悩んだ團十郎は成田山新勝寺で子授けの祈願をし、その甲斐あって男の子を授かります。團十郎は喜び、新勝寺での出開帳に合わせて『成田山分身不動』という演目をお披露目。当時の人気役者が宣伝に一役買ったことで新勝寺の出開帳は大成功。なんと2億円以上の収益をあげました。現在も行われる有名人によるプロモーションが、当時から行われていたのです。

おとな浮世絵コレクション

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