#44 2013年2月4日放送
今週のテーマ:「江戸のプロデューサー」
江戸のアイドル「看板娘」と美人画に熱狂した江戸の男たち。その裏には意外なプロデューサーの姿が…。さらに歌麿・写楽を発掘し、江戸の庶民文化を築いたある男のプロデュース術とは?今回は「江戸のプロデューサー」に関する謎解き!
明和の三美人は、笠森お仙、柳屋お藤、蔦屋およし。その姿を東錦絵の創始者・鈴木春信が描き大ブームを巻き起こしました。笠森お仙は、江戸谷中・笠森稲荷にあった水茶屋「鍵屋」の娘で、12歳の頃から働き始め、20歳の時に突如、姿を消してしまいました。寛延3(1970)年生まれの、版元・蔦屋重三郎は、おそらく思春期をそうしたブームの中で過ごしたのかもしれません。後に、自らが育てた人気絵師・喜多川歌麿に寛政の三美人を描かせます。それが、高島屋おひさ、難波屋おきた、富本豊雛(とよひな)の三人でした。実はこの中で一人だけ看板娘ではないのが富本豊雛です。豊雛は、吉原の玉村屋抱えの芸者で当時流行していた浄瑠璃・富本節の師匠でした。蔦屋は富本節の正本(音曲の詞章を記した本)の出版も行っていたため三美人の中に豊雛を入れ人気の梃子入れをしたといわれています。
江戸時代初頭、版木を使った商業印刷が始まると、漢籍や仏書、古典だけでなく浮世草子、草双紙といった庶民が楽しめる娯楽本が次々と生まれました。そうした書物や浮世絵の製造・販売を行っていた版元は、いわば江戸のプロデューサー。中でも天明期の文化を支えていたのが版元・蔦屋重三郎でした。新吉原で生まれ育った蔦屋は吉原大門の前に耕書堂という小さな書店を開きます。そこで「吉原細見」という吉原遊郭のガイドブックの出版に着目。独自の工夫で細見の販売を独占し、10年もたたないうちに、老舗版元の集まる日本橋通油町への進出を果たします。蔦屋の手がけたものは、黄表紙・洒落本といった戯作本、当時大流行した狂歌から生まれた狂歌絵本、さらに歌麿や写楽など有名絵師の描く浮世絵など、いずれも流行の最先端をいくものばかりでした。そうした出版物の多くが、当時の文化を現代に伝える貴重な遺産となっています。
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