今週の謎

#36 2012年12月3日放送

今週のテーマ:「花街と遊女」

江戸時代、最大にして豪奢な花街「吉原」。不夜城といわれた夢の場所で、華やかな遊女とともに男たちが学んだ江戸の「粋」とは?今回は「花街と遊女」にまつわる謎解き!

「今週の川柳」
舟宿へ 内の律儀を 脱いでゆき
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江戸のうんちく学

吉原遊郭が誕生したのは、元和4年。当時江戸は、町づくりのため、全国から職人や商人が集まり、江戸詰の武士も抱え、圧倒的に男性が多かったのです。そこで幕府が公認した遊郭が吉原でした。当初は、今の日本橋人形町付近にありましたが、明暦2年、人口増加により、幕府は、吉原を郊外の浅草寺北にある日本堤へ移す計画を立てます。およそ2万坪の敷地に、ずらりと遊女屋が並び、不夜城と呼ばれた吉原は、この世のものとは思えない輝きを放つ別天地だった。その吉原の主役は、「遊女」。彼女たちが憧れ、目指すのは、最高位の『太夫』でした。江戸時代中期、2千人以上いたといわれる遊女のうち10人もいなかったという「太夫」。遊女屋の経営者にも一目置かれる存在ですが、「太夫」となるためには、美貌だけでなく教養も必要で歌や舞はもちろんのこと…和歌や琴、茶道や書画にも通じ、たとえ、大名の前に出ても恥ずかしくないだけの品性がなければならなかった。

江戸アラカルト

東茶屋街

東茶屋街

東茶屋街は文政3年に12代藩主、前田斉広の許しを得て金沢に点在していたお茶屋を集めて、公認の遊里として誕生させたのが始まりです。「東廓」などと呼ばれ歓楽街として栄え、時には文化人達の社交場にもなりました。当時は約百軒以上のお店が軒を連ね、茶街一帯が板塀を囲まれ、別天地ともいえる金沢の歓楽地として大いに賑わっていました。度々の建築や建物構造の法令改正でも、ほとんど変わることなく、格子戸や大戸、格式ある二階の造りが高い町並みは現在でも藩政時代の面影を残しています。そして現在は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

おとな浮世絵コレクション

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