今週の謎

#30 2012年10月22日放送

今週のテーマ:「悪女の事件簿」

江戸の町に火を放ち毒婦と呼ばれた八百屋お七。女の園、大奥で将軍を意のままに操るお美代の方。江戸を震撼させたいくつもの事件。女を狂気へと駆り立てたものとは?そこには人間の変わらぬ業と欲が渦巻いています。今回は「悪女の事件簿」に秘められた謎解き!

「今週の川柳」
江戸中の 質の流るる 黄八丈
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江戸のうんちく学

江戸時代、最も華やかで贅を尽くした「大奥」。そこに渦巻く嫉妬や憎悪な様々なスキャンダルを引き起こしました。中でも悪女として名高いのは11代将軍、徳川家斉の側室、お美代の方。家斉を手玉にとり大奥での権力を握るお美代はある野望を抱きます。元禄4年、幕府により天台宗へと改宗させられていた谷中感応寺を日蓮宗に戻し、実父である日啓を住職にすることを画策。お美代がこの寺に執着したのは富くじ興行ができ、莫大な収益が見込めたためでした。この時も家斉を丸め込み、雑司ヶ谷鼠山に寺を再建。そして目論見通り、江戸中から人々が押し寄せ栄華を極めていったのです。しかし家斉が死去すると風向きは一変。老中、水野忠邦が綱紀粛正、奢侈禁止をすすめ、寺の破却を命じます。感応寺は建立から5年でお取り潰し、幻の大寺院となったのです。その後、日啓は遠島に処されるが刑の執行前に牢死。お美代は仏門に入り、晩年は静かに余生を過ごしたといわれています。

江戸料理のあれこれ

「玉里邸」

玉里邸

島津家第27代藩主斉興が天保6年に別邸として造営し、息子の斉彬に藩主の地位を譲ってから、ここを住まいとしました。明治10年の西南戦争で焼失してしまいましたが、斉興と側室のお由羅の子、久光が再建して移住。その後、太平洋戦争によって建物は再び焼失しましたが、庭園や茶室は大きな被害を免れ、現在に引き継がれています。庭園は,江戸時代末期の造園形式で,書院の前庭(上御庭)と廻遊式庭園 (下御庭) からなり、昭和49年に名勝として、市の文化財に指定されました。

おとな浮世絵コレクション

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