#21 2012年8月20日放送
今週のテーマ:「東海道五十三次 其ノ二」
東海道五十三次、其ノ二の始まりは東海道随一の難所、箱根。天下の険とも歌われるほど過酷な旅路ですが、それでも人々は旅に出たのです。その理由は歌川広重の傑作「東海道五十三次」に隠されていました。広重が描いたものとは何か?何故「東海道」は人々を魅了したのか!そこから見えてくる江戸時代の「旅」と「暮らし」とは?!
江戸の防衛と人の行き来や物流の管理を担っていたのが関所です。中でも、箱根の関所は、江戸幕府における拠点として、旅人の出入りを取り締まることから最大の規模を誇っていました。関所を通るのに必要なのが手形です。往来手形は檀家となっている寺などに発行してもらう身分証明書のようなもの。関所通行手形は西に向かう場合必要となり、農民なら庄屋に、町民は大家に書いてもらいました。また箱根の関所では出女の取り締りを厳しくしていました。幕府は、大名が謀反を起こさぬよう妻子を強制的に江戸に住まわせていた為、江戸から出る女性は徹底的に調べられたのです。丘の上には遠見番所という見張り台があり、芦ノ湖を泳いで関所破りをする者がいないか常に見張っていました。関所破りは重罪で、捕まれば親殺しと同罪、磔という極刑に処せられました。しかし、実際に箱根では関所破りで死罪になったのは数件のみで、道に迷ったことにして追い返すことが多かったようです。これを藪入りと言います。江戸後期になると、庶民の旅ブームが起こり関所を通る人数は日に1000人を超えるほどになりました。そのため、時間がかけられず取り調べも形式的なものになっていったのです。
広重の東海道五十三次に描かれた藤枝宿から、少し離れた瀬戸には、旅人を喜ばせたという東海道の名物がありました。それが染飯。もち米とクチナシの戻し汁を合わせ、蒸しあげたものです。江戸時代、クチナシは漢方薬として広く利用されていた事もあり、この染飯は疲労回復の効果があると旅人に人気のあった名物でした。江戸時代は、長時間携帯できるよう、潰して乾燥させたものを売っていましたが、現在はおにぎりとして再現され地元の人に愛されています。食は命をつなぐもの。旅にはなくてはならない物なのです。
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