#15 2012年7月9日放送
今週のテーマ:「園芸」
江戸に起こった「園芸」ブーム、火付け役はなんとあの将軍だった!意外な場所が、「花の名所」に!そこに隠されたユニークな集客法とは?人生をも左右する、その名も「金生樹(かねのなるき)」 世界を驚かせた、江戸の園芸技術とは一体!?ということで、今回は江戸の園芸にまつわる謎解き!
江戸の町では、文化・文政期(1804年~1829年)と嘉永・安政期(1848年~1860年)の二度に渡って「変化朝顔」ブームが起こりました。「変化朝顔」とは、花や葉の形に関わる遺伝子が壊れて突然変異が起こった朝顔のこと。第一次ブームで見られる、花や葉の形、模様の違いは、突然変異が単発で起こった状態のため比較的単純ですが、第二次ブーム期では、より複雑で奇異な形の様々な朝顔が鑑賞されました。これはすでに変異が起こった花の間で、交雑が起こったものと考えられています。しかし、江戸時代には、おしべめしべの仕組みは明らかになっておらず、交雑についての記録も残っていません。それにもかかわらず様々な種類の「変化朝顔」が作られたということは、江戸の人たちが観察と経験によって、交雑の仕組みを見つけ、人為的に交雑しやすい状況を作っていたのではないかと推測されます。これは朝顔に限らず、菊や花菖蒲など他の植物でも同じこと。江戸の人々の「園芸」に対する探究心のおかげで、私たちは今、様々な花を楽しめるのです。
「かますの菊花和え」は徳川将軍家が八百善を訪れた際の献立表に残る逸品。食用菊の文化は、古くは生薬として平安貴族の間で広まりました。そして一般的な料理として広まったのは江戸時代のことといわれています。また菊は厄除けの効果や、食することで延命の効果があると信じられており、重陽の節句では祝い事として菊を愛でたり、菊のお酒を飲む風習がありました。将軍家の方々もさぞ喜んでこの「かますの菊花和え」を食されたことでしょう。
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