私たち人間の体。それはおよそ60兆個もの細胞から出来ています。しかし、そのはじまりはたった一つの細胞です。父親の精子と母親の卵子が結合すると、そこに新たな命が誕生します。この命、一つの細胞が時間をかけて骨、筋肉、皮膚、そして内臓を作って調和の取れた私達の体ができるのです。しかし、どのようにして、たった1つの細胞から多種多様な臓器が作られてゆくのか。臓器を作り上げる脅威の物質。生命のメカニズムは誕生に続き、体を作り出すという点に関しても、信じがたい神秘をミクロの世界に秘めていたのです。その脅威の物質の働きを発見したのは小さな研究室で苦闘した一人の日本人学者。彼はアメリカ、イギリス、世界の大国が国を挙げて取り組んだ研究にたった一人で、孤独な戦いを挑み、見事な成果を挙げて世界を驚かせました。一つの細胞が誕生して、そこから私たち一人一人の体へと変化してゆく。数十億年繰り返されてきた生命の神秘は、今また新たな医療の道へと我々を導こうとしています。たった一つの細胞が数え切れぬ分裂を繰り返し、およそ60兆個にも増えて生き物の体を形作ってゆく神秘。蛙、イモリといった両生類の誕生を借りて、生物界の驚くべき器官形成のメカニズムをご紹介しましょう。生物の卵子と精子は、結合して新たな生命となると、極めて短い間に卵割と呼ばれる特殊な分裂を繰り返して、細胞の数を増やしてゆきます。そして胞胚と呼ばれる状態となり、臓器などの器官形成はここからいよいよ始まります。続いて胞胚が原腸胚へと変わり最初の変化がが現れます。原腸胚に口のような部分、原口背唇ができます。実はこの原口背唇部こそが生物の体を作る上で重要な働きをします。その重要な働きとは原腸胚の表面が原口背唇を中心して内側に向かって、入り込んでゆくという不思議な動きなのです。原口背唇が胞胚の中に入ると何が起きるのでしょう。原口背唇によって原腸胚は外肺葉、中肺葉、内肺葉と分かれます。この三つの肺葉が後に体の各部分に分かれてゆくのです。やがて中肺葉の周囲に作られた脊索を中心として、上の外肺葉には脊髄、神経、頭部、脳。下の内肺葉には筋肉や内臓が生まれ、生物の体の基本が出来上がります。この状態を胚と呼びます。胚ではまだ、外部から栄養を摂ることは出来ませんが、胚は生物の各器官が作られてゆく大まかな流れの初めの形なのです。この時、細胞の動きが大きく変わる卵の上半分、動物半球が生物の体づくりでは重要なのです。さて今から75年ほど前まで、卵や精子では、ここが神経、ここが内臓と、各器官になる場所は予め決まっていると考えられていました。この学説を前成説といいます。しかし、この前成説に対して真っ向から異論を唱える生物学者が現れました。それがドイツのシュペーマンです。シュペーマンは前成説を覆す実験を試みました。彼は両生類のイモリを使い、その受精卵の一部を取り出して、ほかの胞胚に移植しました。こうすることで、胞胚の部分が前成説の唱えている通り、体の決められた器官に変化するかを確かめようとしたのです。イモリの胞胚から神経になるとされていた部分を取り出し、別の胞胚の表皮になるとされていた部分と交換移植しました。前成説の通りなら、どちらもそのまま神経と表皮に変化する筈でした。ところが、本来表皮になる筈の部分は新しく移植された胚の中で神経に変化。もう一方もなる筈の神経ではなく表皮となり、普通の胚になったのです。この実験結果からシュペーマンは確信します。細胞の運命は最初から決められてはいない。何かのキッカケで細胞が変化するのだ。しかし、胞胚の細胞を神経や内臓、筋肉など、全く違う体の器官に変えるキッカケとは一体何なのでしょうか。シュペーマンはパートナーのプレショルドと、そのキッカケを発見すべく、共に新たな実験に乗り出してゆきます。二人は胞胚の次の段階である原腸胚の様々な部分を他の原腸胚に移植する実験を繰り返します。そのうち、原口背唇を他の原腸胚に移植した時、意外な反応が現れました。この時、移植された原腸胚は二つの原口背唇を持つ事になりますね。何とこの胞胚から成長した胚には頭が二つ!つまり、この原腸胚は別の原腸胚から埋め込まれた原口背唇を使って、もう一つの体を作ろうという反応を起こしていたのです。シュペーマンは原口背唇こそ、生物の器官形成を司っていると確信。オーガナイザーと名付けます。しかし、その確信とは裏腹に原口背唇がどういうメカニズムで様々な体の器官に変化するのか?という点に関して、二人の実験が明確な答えとなった訳ではありませんでした。原口背唇自体に器官を作り出す能力があるのか、それとも原口背唇は素材で原腸胚の中に細胞を器官へと導く誘導物質があるのではないか。世界の科学者が謎に挑みますが、解明される事はありませんでした。その謎は永遠に解けないものかと思われました。シュペーマンの実験から75年後、一人の科学者が日本に現れるまで。
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