心臓の働きとペースメーカーの役割
心臓は生きている限りどんな時にも、ドックン、ドックンと収縮と拡張を繰り返しています。
この「ドックン」一回を拍動といいます。
拍動のリズムは、心臓の向かって左の真ん中あたりにある「洞結節」というところから、電気刺激が出てくることにより作り出されています。
洞結節が出す電気刺激が、心臓の細胞に伝わると、心臓はドクンと収縮します。
この収縮の力で、全身に血液が送り出されるのです。
普通は1分間に60回ほどある拍動が、30回ぐらいまで落ちることもあります。
こんな、「徐脈」になると、一体どんな症状が現れるのでしょう?
心臓の働きや、不整脈の原因を研究している東京女子医科大学の萩原誠久先生に伺いました。
萩原先生:「充分に頭に血液が行かなくなって、めまいを起こしたり、ひどい場合には失神を起こしたり、運動をしても脈が早くならず充分に血液が行かないために息切れが起こったりします。脈が極端に遅い状態だったり、数条間止まったりすると、全身に血液が行かなくなって死に至る危険もあります。」
Q:では、心臓ペースメーカーが必要になるのは、どんな時ですか?
萩原先生:「湿疹やめまい、息切れのようないわゆる脈が遅くなったことに伴うような症状がある方が必要になってきます。ただ、症状がない方であっても極端に脈が遅い方、脈が止まっている時間が3秒以上ある方は必要です。」
Q:では、心臓ペースメーカーは、どうやって身体の中に植え込むのでしょうか?
まずは、利き腕とは反対側の胸の部分に、本体を入れるポケットを作ります。そして、心臓に向かう血管に、レントゲンを見ながら、電気を流すためのリード線を入れていきます。
リード線の先端を、電気を作っている洞結節に異常がある場合は、洞結節に近い場所に、電気の通り道に異常がある場合は、右心房に固定します。
手術時間は、およそ1時間。とても安全に行える手術だと言われています。
実は、リード線の先端は、簡単に外れてしまわないように、このような形をしています。
萩原先生:「心臓の筋肉は網目状になっています。そこに、リード線の羽根状になっている部分がひっかかって抜けないように固定されるのです。」
Q:では、一度入れた心臓ペースメーカーは、一体どのくらい持つのでしょうか?
萩原先生:「心臓ペースメーカーの寿命は平均すると6年〜7年です。電池交換の際には本体ごと交換します。」
心臓ペースメーカーを入れた患者さんは、年に2回から3回、ペースメーカー外来に通院します。身体の中の心臓ペースメーカーの情報を調べる装置で検査を受けるのです。心臓ペースメーカーが入っている場所に装置を当てると、いろいろな情報が画面に表示されます。
拍動の状況や送りだす血液の量、そして電池の残量などが確認できます。
心臓ペースメーカーを使っている人にとって大切なことは、毎日きちんと脈を確かめること。
脈には正しい計り方があるんです。
萩原先生:「手首の近くにある とう骨動脈で計測します。ここに指をあてて、1分間時計を見ながら脈を数えるという方法が正しい測り方です。」
手首の脈が触れる場所に、3本の指をあてて1分間。
脈は、心臓の異常をいち早く知る最も簡単な方法。
急な発作を防ぐためにも、普段の自分の脈をぜひ覚えておいて下さい。
心臓の働きとペースメーカーの役割
1906年、日本人の医学者、田原淳(たわらすなお)は、はるかドイツの地で心臓機能に関するある画期的な発見をしました。
名付けて「田原結節」。
田原が発見したこの結節は、別名・房室結節といい、細い心筋細胞の集団で、わずか2〜3ミリ程度の大きさ。
この小さな結節が、洞結節から送られる電気を中継し、心臓全体に電気刺激を行き渡らせていることが分かったのです。
心臓を動かす、電気の通り道の解明。
田原による房室結節・発見の偉業があったからこそ、初めてペースメーカーの発明が可能となったのです。
田原結節発見からおよそ25年後。
アメリカ人の医師・ヘイマンが、世界で初めて人工ペースメーカーの開発に成功しました。
その心臓ペースメーカーは、重さ7.2キロ。しかも、手動でハンドルを回して発電し、心臓を刺激するものでした。
残念ながら、とても患者さん本人が持ち運びできるものではなかったのです。
それからさらに20年後の1952年。
イギリスの研究者、ゾルがついに移動型ペースメーカーの開発に成功します。
このペースメーカーは、電源の届く範囲で患者さんの移動が可能となり、病院内で導入されて、多くの心臓病の患者さんを救うこととなるのです。
これ以降、研究者たちは、心臓ペースメーカーの軽量化、小型化に挑むことになります。
そして1958年。
アメリカのバッケンが、非常に画期的なペースメーカーを開発しました。
それは携帯型ペースメーカー。
このペースメーカーは、電源をバッテリーで補うことができるため、これまで制限されていた患者との行動範囲が飛躍的に広がりました。
そして現在のように、体内植え込み式の心臓ペースメーカーが発明されたのは1960年。
スウェーデンの科学者、エルムクイストとセイニングの二人によって開発されました。
身体の中に初めてペースメーカーが入り、心臓に電気信号を送ることが可能になったのです。
日本人、田原淳による田原結節発見から60年余り。
研究者達のあくなき努力により、心臓ペースメーカーは飛躍的な進歩を遂げたのです。
心臓ペースメーカーを実際に使っている方のお話
こちらは、東京・世田谷区にある、日本心臓ペースメーカー友の会。
実際に、心臓ペースメーカーを使っている人が中心となって、正しい知識と情報を広めるために活動しています。現在会員は3万人。
医師などの協力も受けながら、様々な相談にも応じています。
野崎辰雄さんは、6年前、69歳のときに心臓ペースメーカーの手術を受けました。
野崎さんが、自分の身体の異変に初めて気づいたのは、今から10年前。
強い息切れが起こった後、目の前が真っ白になり、その場に倒れてしまったといいます。
野崎さん:「7〜8kgの荷物を持って駅の階段を上り、ホームに出た途端、目の前が真っ白になって倒れてしまったのです。そして、1分も経たないうちに回復したのですが、その後も階段を上がるときにフラフラする状態がありました。」
しかし、一時的なものだと考え、病院での治療も受けることなく3年が過ぎました。そして、ある日・・・、
野崎さん:「市の老人検査で脈が40と診断され、ペースメーカーを入れないとだめですよと言われました。階段で息切れをするときも、年を取ったから仕方がないのかなと思っていたので、まさか自分がそんな状態にあるとは思ってもみませんでした。」
検査で「徐脈」と診断されてからわずか3日後、野崎さんはペースメーカーを入れる手術を受けました。手術から6年。野崎さんの生活は、どんなふうに変わったのでしょうか?
野崎さん:「ペースメーカーのおかげで、普通の人と同じ生活ができることが何よりうれしいです。ペースメーカーを入れてなかったら、息切れしたりすることがあったわけですから、年並みに同年代の人と同じように生活できることが大変有難いですね。」
日本心臓ペースメーカー友の会には、全国から不安や相談が寄せられるそうです。
日本心臓ペースメーカー友の会 副会長・日熕iさん:「ペースメーカー自体が分からない、ペースメーカーを入れることの不安や今まで生活してきたことができなくなるのではないかという不安など広範囲の不安を持っておられるようです。なんとかそれに安心を与えて、ペースメーカーを理解して頂くために、各地で勉強会などを通じて、病気のことを患者さん自身も勉強してもらっています。医師団と医療機器メーカーと患者さんが三位一体というのがこの会の趣旨であり、またそれに基づいて推進しています。」
心臓に病気を抱える人が健康な人と同じ生活を送れるようにしてくれる心臓ペースメーカー。
この小さな発明品は多くの人の命を支えているのです。
心臓の動きをセンサーで計って、脈がおかしいなというときにだけ働くなんて、仕組みが素晴らしいですね。 |
昔の心臓ペースメーカーはあんなに大きいものだったのに、今は随分進化しましたね。 |