聴診器の誕生


「健康な人と具合の悪い人では、体の中の音に少し違いがある」
すでに紀元前380年には、ヒポクラテスは気がついていました。ヒポクラテスは、患者の胸に耳を当てて、体の音を聞いては健康かどうかを調べ治療していたのです。以来、19世紀の初めまで、実に2000年以上に渡って、医師は患者の胸に直接耳を当てて体の音を聞いていました。

しかし、1816年、フランス人医師ルネ・ラエンネックによって、その方法が革命的に進歩することとなります。

ラエンネックはある日、心臓病の若い女性の診察をしました。女性は少し恥ずかしいそぶりを見せます。この女性は太り気味で、胸に耳を強く押し付けないと心臓の音が聞き取りにくい。ラエンネックは気を使いながら診察をしました。この時から、ラエンネックは考えるようになりました。
「女性に恥ずかしい思いをさせないで、心臓の音を聞くことはできないものか?」

ある日、ラエンネックは子供が二人、長い棒を使って遊んでいるのを目にしました。一人は棒の端を爪で引っかき、もう一人が反対側の端に耳をつけ引っかいた音を聞いていたのです。

ラエンネックは早速、病院に戻ると手近にあったノートを丸め、患者の胸に当てて聞いてみました。

すると、心臓の音が聞こえてくるではありませんか!「この方法だと女性に恥ずかしい思いをさせないで胸の音が聞ける!」ラエンネックは、もっと良く聞こえるものを作ろうと聴診器の開発に乗り出します。

最初、ボール紙を丸めニカワを塗ってみましたが、紙は外の音の振動が伝わりやすく、雑音が混ざってしまいます。ラエンネックは、紙より硬い木を素材にして、聴診器を作り始めます。図面を引き、失敗を繰り返しながら、ついに長さ31センチ、直径3.8センチの円筒形、真ん中に直径7ミリの穴を開けた聴診器が完成しました。真ん中の穴を小さくしたのは、外からの雑音を遮断するためです。ラエンネックの聴診器はねじ込み式でつながっています。

ヒポクラテスが身体に直に耳を当てていた時代から2000年以上。身体の音を聞いて診断する方法は、新たな時代を迎えることとなったのです。

ラエンネックの研究


発明した聴診器を使い、ラエンネックは心臓の病気や肺の病気に関して研究を進めていきます。
200人を超える患者を聴診器で診察してみると、肺炎の患者、気胸の患者、結核の患者、それぞれの病気には特有の音があることを発見します。

そこで、データをまとめるためラエンネックは音に名前を付けます。
泡がはじけるような音、ラ音。雑音が混ざるブリュイ。ヤギの鳴き声のような音がするヤギ音。

その音と病気の関係を確認するため、診察した患者が亡くなると、死体を解剖して調べるという徹底ぶりでした。ラエンネックは肺の解剖図を書き、肺の病気と呼吸器音の関係を解明し、治療に役立てていきました。中でもラエンネックが力を注いだのは、当時最も恐れられていた死の病、結核です。結核菌に肺がおかされると肺に穴が開いてしまうため、特徴的な呼吸音が聞こえました。ラエンネックは聴診器を使うことで、いち早くこの音に気づき、結核の早期発見に大きく貢献することとなったのです。

日本に聴診器がきたのは・・・



日本に聴診器が初めて来たのは、ラエンネックの発明から30年たった1848年。
長崎の出島に赴任してきたオランダ軍医が持ち込んだものでした。 当時、ヨーロッパの医者はラエンネック型の聴診器を持つことが医者としての誇りだったのです。

聴診器改良の歴史


ラエンネックの聴診器には弱点もありました。
それは小さい音が聞き取りにくいということ。
さらに長さが31センチしかなく、医師は前かがみにならなければならず、少し使いづらいものでした。硬い材質のため、押し付けられると痛みをうったえる患者もいました。特に肺の病気の患者は、やせ衰えていたので診察は慎重に行わなければなりませんでした。

どうすれば小さい音が大きくなるのか?
ドイツの医師トラウベは考えました。
音をとらえる小さな穴を大きくしてみてはどうか?
彼は、じょうろ型の聴診器を思いつきました。小さな音がよく聞こえる。

そしてもう一つ・・・
胸に当てる部分が大きくなったため、患者に痛みを与えることも少なくなりました。トラウベ型は一気に2つの弱点が解決されたのです。

聴診器はさらに改良されていきます。
1829年には、胴体の部分がゴム管になりました。聴診器が自由に曲がるようになり、医師が聴診器を操作するとき、前かがみに無理な姿勢にならず、じっくりと診察ができるようになりました。

さらにアメリカのカマンは改良します。
片方の耳で聞いていたのを両耳で聞けるようにしたのです。この聴診器は両方の耳で聞けるため、音が格段に聞き取りやすくなりました。しかもこのタイプは、体に触れる部分と聞き取る部分がチューブで離れているため、医師は患者と向き合って診察ができるようになったのです。


1926年には、アメリカのスプラーグが現在の聴診器の原型ともいえる聴診器を開発します。
このスプラーグ型聴診器の最大の改良点が・・・従来のタイプは身体に当てる部分が一箇所だったのに対して、呼吸音を聞き取りやすい面と心音を聞き取りやすい面を切り替えて使えるようにしたところです。これによって、心臓と肺、両方の診察ができるようになったのです。

そして、1967年に登場したのが・・・
現在最も多くの医師達に愛用されている聴診器、リットマン聴診器です。スプラーグ型聴診器の機能はそのままで、軽量、小型になりました。これによって聴診器をいつでも携帯でき、いざという時でもすぐに使用することができるようになったのです。

聴診器で聞こえる音


医療現場で、ドクターは肺や心臓のどんな音を聞いて病気の診断をしているのでしょう?
呼吸器内科がご専門のエム・クリニック院長、松岡緑郎先生に伺いました。


松岡先生:「患者さんを聴診するとき、まず心臓の音を聞きます。心臓の弁が開いたり、閉じたりする音で、1音2音という音が聞こえてきて、ダターンダターンダタッという音が聞こえてきます。」

私達の心臓は中を流れている血液が逆流しないように弁がついています。いわゆる心音というのは、この弁が開閉する時の音なのです。

心臓が縮んで血液を体全体に押し出す時に出る音を1音。心臓が拡がって血液を取り込む際の音を2音と呼んでいます。ドクターはこの音を聞いて病気がないかを診ているのです。

では、一体どんな音が聞こえると異常を疑うのでしょうか?

松岡先生:「脈の乱れがないかを診ています。ターンターンターンターンといっているのが、タタッタタッとなったり心音のリズムが一定ではない場合、不整脈を疑います。例えば心臓の音も、心音の後に高い音が聞こえると、大動脈弁閉鎖不全症を疑います。」

では、次は呼吸した時の音について・・・
よく後ろを向いて下さいと言われて背中に聴診器を当てられますが、それは心臓の音に邪魔されることなく、肺の音を聞くためだったんです。

ドクターは診察の際、どんなことに注意をはらっているのでしょう?

松岡先生:「例えば、ぜんそくになると気管支が狭くなり笛を吹くような音がします。間質性肺炎の場合は、マジックテープをはがすような音がします。痰が増えてくると、泡がはじける音がします。」

聴診器で聞ける体の中の音。お腹からも音が聞こえてくるのです。

松岡先生:「腹痛のある場合は、お腹の聴診を行います。大腸がぜん動運動をした時に出る音をグル音と言いますが、これが金属のようにキーンというふうに聞こえるか、または全く音が聞こえない場合はかなり病的だと考えられます。」

聴診器の開発


医師による一番最初の診断を支え続けている聴診器。
現在も様々なタイプのものが開発されています。

○体に触れる部分が3つの聴診器
・・・二つある大きい面では呼吸音と心音が聞き取れ、主に呼吸音を聞くときに使います。小さい面では、心臓の音を専門に聞き取ります。

○デジタル聴診器
・・・体の音を10倍以上に大きくして聞けます。屋外での救急処置など周りの音が気になる場所でも正確に聴診を行えるというメリットがあります。

○ステレオ聴診器
・・・開発されたドクター医療法人 弘生会 三軒茶屋第二病院 内科 風間繁先生

風間先生:「なんとか聴診器の音を良くしたいと思い、いろいろ考えた結果、これはステレオ型にするといいのではと思いました。ステレオ型にすればもっといろいろな情報が聞こえてくるのでは ないかということを期待して考案しました。」

ステレオ聴診器は、体に当てる部分が二つに分かれていて、右側からは右耳、左側からは左耳へと繋がっています。左右独立した音を聞くことで、音がステレオで聞けるのです。反対側の心音を聞く面も同様に区切られ、ステレオで聞けます。

心音はどんなふうに聞こえるのでしょう?

風間先生:「最初に胸に当てると呼吸音、心音が聞こえますが、その段階で、これは違うということが分かります。従来の聴診器とは全く違う音が聞こえます。音の拡がりを感じ取ることができるのです。」

従来の聴診器の場合、異常のある場所を探すには音が大きくなる方を探りながら聴診器を少しづつ移動させなければなりません。しかし、ステレオ聴診器ならば左右の音の違いから、異常な音を出している場所が分かるのです。例えば、異常音が下図の部分からするとします。
ステレオ聴診器を当てると…
右耳の方が大きく聞こえます。そこで、聴診器を右に移動。両耳で同じように聞こえる場所が異常音の出ている所です。

ラエンネックが木製の聴診器を発明してから、まだ200年たらずですが、聴診器は日々進化を続け、医学の進歩に大きく貢献しているのです。