基本の基
「白菜」基本の基
       
11月10日放送 (# 6)
 
Q.白菜はどこからやってきたのか?
 
 
「ハクサイ」は、アブラナ科の野菜で、原産地は他のアブラナ科の野菜類と同じく、ヨーロッパの北東部からトルコ にかけての地域であろうといわれています。この野生種が中央アジアを経由して中国に伝わり、中国で改良され、 11世紀頃今みるようなハクサイになったと言われています。一方、ヨーロッパに 残ったものは、なんとキャベツになったと言われています!
白菜のルーツ  
 
Q.一体いつ日本にやって来たのか?
 
 
白菜の歴史は意外に浅く、初登場は明治8年(1875)、東京で開かれた博覧会に中国(当時の清)からの出品という形でお目見えしました。その後、日清戦争・日露戦争に従軍した日本の農村出身の兵士たちが、大陸でハクサイを食べ、種を持ち帰ったのが、全国に広まるきっかけとなったと云われています。
一体いつ日本にやって来たのか?  
 
中央アジア、ロシア、モンゴル、チベット、中国東北部、華北、華中地帯や韓国をたどってきた、華北系大根。この系統は、根が中型や大型で肉質は厚くて硬く、多様な色素もあり耐寒性と貯蔵性が高い。辛味も強く、主に漬物や生食、薬味などに適しています。
 
 
しかし!ここで問題が発生!
輸入種子での栽培は成功しても、その白菜から種を採って植えても白菜は出来ませんでした!どれもが他の植物に化けてしまったのです。なぜそうなってしまったかは全く分かりませんでした。だから、大正時代になっても白菜の種子を中国から輸入するしかなかったのです。
 
 
こちらをご覧ください。これが今流通している日本生まれの白菜の種です。じつはこの種が安定して生産できるようになるには、多くの人々の血のにじむような努力があったのです。
白菜の種子  
 
どうして白菜の種子が採れなかったのか?
白菜は、アブラナや漬け菜(小松菜・野沢菜)やカブと同じ「種」の植物。日本に以前からあったアブラナやカブの花粉が、ミツバチや蝶を介して白菜と交じり合ってしまい白菜にならなかったのです。このことに気づくまでに、実に20年以上の年月がかかりました。長いですね・・・
 
 
そこに気付いたのが40年間の努力・仙台白菜の恩人とありますが、宮城県で白菜の研究をされていた沼倉吉兵衛さんです。沼倉さんは、媒介となるミツバチが海を渡れないことに気付きました。
白菜の栽培にかけた人  
 

ならば!
松島湾にある離島で、他のアブラナ科の植物を全部排除した上で、白菜を栽培すれば、自然交雑が防げて優秀な品種が作りだせるのではないかと考えました。そうして、この「馬放島」(写真)というところで、日本で初めて交雑していない種子の生産に成功したのです。

青首大根は上部が緑色で辛味が弱く煮崩れしにくい  
 
こうした努力の甲斐あって、やがて中国の種に頼ることなく、白菜の種をとることが出来るようになったということです。

以上、日本の白菜に関する『基本の基』でした!

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