昭和ノスタルジー香る懐かしいラーメンの魅力をたっぷりお届け!
4Kカメラで迫る、店主こだわりの一杯をぜひご堪能ください!
#1
03/06
昭和ノスタルジー香る懐かしいラーメンを紹介する当番組、第1回目は雑司が谷の「ターキー」。神社や寺が多い雑司が谷の閑静な住宅地にある昭和50年創業のラーメン屋である。店主は甲立一雄さん、作るラーメンは「手抜きなし」の本物だ。鶏の足「もみじ」をメインに毎朝2時間半かけてクリアなスープを取り、その日残ったものは捨ててしまう。タレも醤油でチャーシューを煮て42年間継ぎ足したもの。そっけなくも、懐かしい盛り付けのラーメンは麺をすすればその実力に驚く。独自のラーメン哲学を貫く店主の作るラーメンは、レトロな外観からは想像もつかないほど完成されたものだった。
#2
03/06
荻窪は駅周辺に戦後闇市が広がっていた。そんな闇市エリアに昭和24年創業したのが「中華そば 春木屋」荻窪、いや東京ラーメンを代表する老舗ラーメン屋である。仕込みは毎朝6時から始まる。3種の小麦粉をブレンドして自家製麺、大量の煮干しや国産の野菜を使って贅沢なスープを取る。店主は2代目今村幸一さん。長野県出身の先代が信州そばツユからヒントを得て生んだスープを、独自にアレンジして現在のものに改良した。「伝統とは常に変わり続けること」今日も新たなメニュー開発に励み、その伝統を3代目に今伝えようとしている。
#3
03/13
渋谷区笹塚は庶民が暮らすおだやかな住宅地。駅前から続く細長い商店街が終わりかける頃、風情ある店構えの「福寿」を見つける。創業1952年と言えば、美空ひばりが「リンゴ追分」を歌った昭和27年である。新宿に日本蕎麦店「福家」を起こした一代目が「日本一」を標榜して商売を成功させた。今も使われ続けているラーメンどんぶりの底の文字「日本一」は、その気概を継いでいる証なのだろう。 朝は煉瓦積みの釜戸に火を入れることから仕事が始まる。大釜がグラグラ煮立つ。気がつけばモワモワと舞い上がる幻想的な湯気の向こうに七十七歳の二代目小林克也さんが立っている。建具が軋む木造の店が時空を越える玉手箱のようだ。そんなワンダーランドへ誘う福寿にも若き三代目小林弘周さんの姿が現れた。ノスタルジックラーメンの遺伝子は絶えない。
#4
03/13
大正ロマンから昭和モダンへ。新しいライフスタイルと心意気を求める庶民の熱気が熱く沸いた時代、西洋料理も中国料理も好奇心をそそる舶来の食文化だった。大正15年は昭和元年、その1926年に銀座「萬福」は創業した。屋台から始めた西洋&中国のコスモポリタンな料理屋は人気を集めて繁盛する。21世紀になっても三代目久保英恭さんが腕を振るう中華そばには豊かな文化の香りが漂っている。凛とした存在感で中華そばの上に鎮座する三角形の玉子焼きは萬福のシンボルだ。ケチャップ味のポークライスは創業期の洋食メニューの名残りである。懐かしの味は時代の風雨に揉まれながら伝承されている。銀座と言っても、ここは江戸時代には職人の町だった木挽町である。だから常連客の所作や出で立ちから下町気質の粋が伺える。人気メニューの冷やしそばは夏期だけでなく一年中いただける。
#5
08/28
新御徒町駅ができたことで利便性が増した台東区小島界隈。すこし足を伸ばせばかつて庶民の台所として名を馳せた「おかず横町」や千三百年以上の歴史があるといわれる「鳥越神社」がある。上野の中華料理屋で修行を積み、その後二年間ラーメンの屋台を引いた主人・小林賢吉さんがこの地に店を開いたのは昭和43年。以来五十年地元の人々に愛され続けてきた。店では「半ナシラーメン」というオーダーが圧倒的に多い。「半ナシゴレンとラーメンのセット」である。ナシゴレンとはインドネシア・マレーシア伝統の焼き飯だ。このレシピを小林さんは上野での修業時代、客として来ていたインドネシア人に教わったという。幸楽のラーメンは豚足・鶏ガラ・鶏脂などから出汁をとった透明感あるスープだが、このスープを用い、オリジナルの辛味噌を作り出し作ったナシゴレンはとても美味しく、妻のさち子さんが作る醤油ラーメンとのセットは値段も750円とお得感があり、大人気メニューとなっている。
#6
05/08
スカイツリーが誕生し、新旧の風景が混沌とする浅草。着物を着て闊歩する外国人観光客もいれば、古くから残る大衆演芸ホールも残る。猥雑で混沌とした雰囲気は、今も昔も変わらない。その浅草で明治43年、日本にラーメンの存在を広めた来々軒が誕生した。ラーメンは大衆の食文化として、昭和の時代を支えたといっても過言ではない。その同じ年に、製麺所として誕生したのが、来集軒だ。そこから、昭和25年に独立、製麺からラーメンを提供するお店へと変わり、今に至る。壁に貼られたサインが物語るように、多くの著名人に愛されてきた。今は亡き先代の妻・落合智子さんと二代目の秀実さんが暖簾を守る。鶏ガラ豚骨、野菜の甘みが加わったスープによく絡む麺が秀逸。名物のシューマイをつまみにビールを飲む常連客も多い。麺のかたさ、味の濃さなど、客の要望に応える注文札もある。そこに浅草下町の心意気が隠されていた。
#7
05/15
言わずと知れた東京屈指の洋食の老舗であるたいめいけん(昭和6年創業)が、昔ながらの醤油ラーメンを提供していることは、意外に知られていない。先代のラーメン好きが高じて昭和20年代に誕生したラーメンは、ラーメンスタンドという‘立ち食い’のエリアで提供される。しかもそこからは、洋食のシェフがオムライスやナポリタンを調理するキッチンが一望できる、特等席なのだ。三代目の主人・茂手木浩司さんは、代々「ここだけは残せ」と言われているラーメンカウンターを守っている。スープには洋食の具材が生かされ、周りが赤く色づけられたチャーシューなど、一杯のラーメンにはたいめいけんならではの個性が秘められている。もちろん、名物のコールスローやボルシチもプラス50円で頼むことができる。時間のない日本橋のサラリーマンにとって、心強いラーメンコーナーなのだ。
#8
03/27
かつて、魚河岸と呼ばれた‘東京の台所’築地。豊洲に移転が決まったのは場内市場で、場外市場は築地に残り続ける。昭和30年創業の若葉は、その場外市場にある。開店は朝5時半。早朝から築地に仕入れに来る人、鮮魚店を構える人などの常連がこの店の一杯を求めてやってくる。主は二代目、若林五郎さん。忙しい魚河岸の朝に対応するため、麺のゆで時間はわずか20秒。それを可能にするのは、‘東京一細い’といっても過言ではないちぢれ麺。「とにかく早く提供したい」という先代からの思いを受け継ぎ実践している。主人を支えるのは、妻と二人の息子たち。製麺から具材まで全て築地でそろえる。新しい波が押し寄せる築地場外の中で、築地の変わらぬ味が、海外からの新たな客もつかんでいた。
#9
03/28
“古本の街”として知られる神保町は、大学キャンパスが多く、学生街でもある。そのため、学生向けの「安い・美味い・ボリューム満点」を標榜する飲食店が多く存在する。そんな神保町で半世紀以上愛され続け、430円という低価格でラーメンを出しているのが、昭和41年創業の伊峡。一番の人気メニュー「半ちゃんラーメン」(ラーメンと半チャーハンをセット)も630円という、何とも懐に優しい店だ。主は沢木昭司さん。「ラーメンは小銭で、さっと食べられるもの」というポリシーから、安くて美味いラーメンを作り続けてきた。そこには、低価格を実現させる料理人の工夫が凝らされていた。
#10
03/28
お江戸日本橋は様変わりしたとはいえ、今も人が集まる活気に満ちた街である。老舗デパートや名のある名店が威容を誇る大通りから路地に入れば、一軒店が競い合ういなせな日本橋の香りが漂っている。近頃は内外の観光客も多いが、近くにはオフィスビルも林立していて、この地で働く人たちも多く行き交う。日本橋大勝軒は、つけ麺の大勝軒系列とは関係がない。歴史はこちらの方が古い。日本橋大勝軒の創業は昭和八年。趣のある店舗は昭和三十五年に建て替えたもの。店主の高橋一祐さんは三代目である。初代の春吉さんが人形町の本店で修行して独立した。人気メニューは中華そばとヤキブタ、そしてシューマイ。麺もヤキブタもシューマイも自家製である。丹精込めた手作りが大勝軒代々のモットーなのだ。接客は母と妻、厨房は店主と弟が受け持つ、典型的な家族経営のアットホームな店である。
#11
07/17
淡路町の界隈は、江戸時代から「やっちゃ場」と呼ばれる青物市場が開かれていた。市場は大田区に移転してしまったが、今もポツポツと古い商家が残っている。栄屋ミルクホールは昭和二十年の創業。その名の通り牛乳や洋菓子を出すミルクホール(軽食喫茶)だった。昭和初期に建てられた銅板葺きの店舗は建築遺産としても価値があるだろう。店主はおだやかな人柄の高橋栄治さん。子供の頃から食べていた父親の味を再現している。ラーメン650円、カレーライス680円、おにぎり(シャケ)120円。
#12
07/17
京浜東北線の東十条駅から、閑静な住宅地を歩くと、意表を突くほど賑やかな通りが現れる。地元の人々に親しまれている十条富士見銀座商店街だ。この商店街の一角に中華料理店玉屋はある。昭和32年創業。色あせた暖簾が揺れる懐かしい風情の店構え。店主は創業者(故人)の妻・田沼志津江さん。娘の千佳さんと二人で店を切り盛りしている。人気メニューは仙人ラーメン 550円とカレーラーメン 680円。仙人とは創業者田沼昭三郎さんのニックネーム。仙人と呼ばれるほど超然とした人柄だったらしい。鶏ガラとゲンコツ(豚骨)のスープに、鰹節のダシを合わせる創業者の味を、妻と娘が守り続けている。
#13
07/24
太宰治ゆかりの地、三鷹。商店も充実し、緑も多く、住みやすい街として人気だ。ここに、ある伝説のラーメン屋があった。「中華そば江ぐち」。ラーメン一杯450円。透き通った醤油のスープ、蕎麦のような独特の手作り麺。そしてその世界観にそっと寄り添う、竹の子、チャーシュー、ナルト。親子4代で通う常連もいる、三鷹のソウルフードだ。しかし2010年に主人の急死と共に、閉店。最期、常連客は号泣しながらラーメンを食べたと言う。その味と精神を受け継ぎ、同じ場所で新たに生まれたのが「中華そば みたか」。「江ぐち」で修行を積み、自らも三鷹出身で、物心つく頃前から「江ぐち」のラーメンに親しんでいたという店主は、三鷹の人々の人生に寄り添う一杯を、日々作り続けている。
#14
07/24
路地が入り組み、古き良きものと、新しいものが混在した、粋な街・神楽坂。大通りから少し入ったところに、黄色い看板に大きく「The Lahmen」(頭文字RではなくL)と書かれた店が、『龍朋』。40年前から、夫婦二人三脚で営んできた店だ。この店で有名なのは、手作りチャーシューがゴロゴロと入ったチャーハン。しかし実はラーメンもまた、主人のこだわりが詰まっている。老舗店にしては珍しい白濁のスープ。バランスのとれた味わいのこのスープから、主人は様々な独創的なラーメンを生み出した。一見驚くような具材も、このスープとならラーメンとの相性、抜群。すべてのメニューがお持ち帰り可能。しかし、主人は、2017年に病で他界。女将は、夫の心意気を受け継ぎ、守り続けている。
#15
04/24
JR総武線、中央線、地下鉄東西線が乗り入れる中野駅。老若男女多くの乗降客が駅周辺を行き来する。南口を降りて徒歩5分ほど。中野大勝軒は中野五叉路と駅中間ほどに店を構える。昭和26年創業の老舗である。実はこの店がつけ麺の元祖といわれている。大勝軒独特の麺は太く、もちもちして瑞々しい。どちらかといえば中華麺よりうどんに近い。この店では「つけ麺」と呼ばず「つけそば」という。中華そば屋からスタートしたという伝統と誇りがそこに見える。2代目となる主人坂口光男さんは先代である父の味を受け継ぎながらもお客さんの反応を見ながらその時代の人々の嗜好に応じて柔軟に味を進化させてきた。モットーは「目の前のお客さんに全力を尽くす」。ここにきてまず味わいたいのが「つけそば」590円。他、厚切りのチャーシューが麺の上にたっぷり乗った「肉入りつけそば」780円、更に煮卵を加えた「スペシャルつけ」880円などが人気である。
#16
09/11
各国の大使館や昭和初期の近代建築が立ち並ぶ中、麻布通り沿いで34年以上、毎日営業する庶民派中華 料理店がある。それが『盛運亭』だ。鹿児島でラーメン作りの修行をした店主。当初はこってり白濁スープだったが、試行錯誤を経て、江戸っ子も唸らせる澄んだ豚骨ベースのスープに辿り着いた。自慢のチャーシューは豚バラ肉の塊をラードとごま油で揚げてから煮込む。表面を揚げることで、肉汁が閉じ込められジューシーに仕上がる。その自慢のチャーシューを5枚羽織ったチャーシューメンは、もちろん店の一番人気。他にも常連客が口を揃えて絶品と宣う豚肉の生姜焼き定食は、秘伝のタレが味の決め手。流行りの味は移り変われど「これと決めたら自分の味を守り続けるだけ」。そうぶっきらぼうに言い放つ頑固オヤジは、今日も鍋を振る。
#17
05/01
20件ほどのラーメン店がひしめく新宿区早稲田界隈の学生街。その中で最も歴史あるお店が、学生たちの胃袋を掴み続ける人気店として君臨している。早稲田大学から徒歩3分、軽食&ラーメン「メルシー」(創業昭和33年)。店名に“軽食”と付いているのは、戦前、先代が喫茶店を営んでいた名残りだが、店内にコーヒーやお茶といったメニューは無い。毎朝6時前から1人で仕込み始める店主・小林一浩さんが作る「ラーメン」は、400円という学食のような安さにもかかわらず、驚くほど材料と手間がかかっている。煮干しと野菜から取ったスープと、鶏の足・とんこつ・昆布・野菜で取ったスープを合わせて作る“ダブルスープ”。味付きコーンがどんぶりに彩りを添えるのも、メルシーの特徴である。喫茶店時代の名残りメニュー「オムライス」と「ドライカレー」(ともに590円)も人気メニュー。そんな主人のラーメン哲学は、「変わらないこと」というより「変えないこと」。先代の味を守り、いつまでも同じ味を常連に提供し続けることが使命であると、語る。
#18
05/08
東京・飯田橋。縁結びのご利益があると評判のパワースポット・東京大神宮から目と鼻の先に、地元の人々から愛されて止まない小さな名店がある。支那そば「びぜん亭」(昭和51年創業)。わずか5坪の店舗。お品書きには、「ラーメン」ではなく「支那そば」。「ラーメンじゃありきたりだから」と語る店主・植田正基さんは、実はラーメン店での修行等は一切したことがない、独学で店を立ち上げた異色の職人だ。東京のど真ん中にしては手ごろな600円の『支那そば』は、豚骨や数種の野菜でとった、醤油ベースのあっさりスープ。人気の「ちゃあしゅう」は、店主が「ラーメン店のチャーシューが苦手で食べられなかったから、自分でも食べられるものを作ってみた」そう。6時間煮込んだチャーシューは、箸で そお~っと掴まなければ崩れてしまうほどトロトロ。1本丸ごと買って帰る常連さんも少なくない。「お客さんは仲間」と語る店主は、誰にでも気さくに話しかけ、休日には常連さんと山遊びへと頻繁に出掛ける。おいしいもので繋がる人と人の関係―。ラーメン店の中でも稀有な存在の名店「びぜん亭」の魅力に迫る。
#19
09/18
大正8年創業の神田の老舗、巴家。4代続くこの店のラーメンは、驚くほど麺が長く、その長さ1本80cm以上!代々受け継がれてきた“哲学”が宿る麺、さらにラーメンと同じ小麦粉で皮から手作りしている焼売も伝統の品。普段はあまり見せない、製麺の様子からシュウマイ作りまで、今年創業100年を迎える巴家の裏舞台に迫る。
#20
08/14
東十条「マリオン」は昭和59年、時を同じくして創業した有楽町マリオンにちなんでつけられた。店主は2017年に他界、長女の蛸井玲亜(たこい れあ)さんが店を継いでいる。煮干香るスープが特徴の醤油ラーメンの味を守るため奮闘中。そしてもう1つの名物は「にぎり」、チャーシューの握り寿司である。お土産に大量に買っていくお客さんもいるいわば東十条のソウルフードだ。
#21
08/07
西麻布の交差点から青山へ向かう外苑西通り。青山墓地の下の五叉路の一角に、古びた白い小屋がある。ブリキのえんとつが五本、ニョキニョキと生えているので、初めて見た人はちょっととまどう。看板には「かおたんラーメン」と書いてある。たげど中は見えないし、入りにくい店構えだ。なのに、ここは人気店。ランチタイムから深夜、そして翌朝5時の閉店時間まで客が絶えることはない。1983年創業の「かおたん」のラーメンは、揚げネギの香味油を使う芳醇な醤油スープと、コシのある細麺が都会の客を虜にした。バブル時代から通い続ける夜の常連客は、店主落合一元さんに会いに来る。お髭の落合さんは村長さんのように慕われている。陽気な白い小屋は今宵もオールナイト、まるで楽園のようだ。
#22
08/14
昭和48年創業。『一寸亭』と書いて「ちょっとてい」と読ませるユニークな店名は、創業時カウンターわずか7席で、1杯100円のラーメンを提供していた主人の「ちょっとした店」、「ちょっと立ち寄ってもえれば・・・」という謙虚な気持ちから生まれた。名物は『モヤシソバ』(800円)。親子3代で食べに来る常連さんもいる店は今、ホテル等で修行を積んだ息子である2代目と、親子で切り盛りしている。
#23
08/28
珍々亭は昭和29年創業の老舗である。油そば発祥の店として知られている。穏やかな人柄の店主は二代目の小谷桂一さん。先代が考案した油そばの味を守り続けている。三代目・修一さんも厨房に立つ。女将と娘さんたちも和やかにホールを切り盛りしている。汁のない油そばを混ぜると、秘伝の油と醤油タレが、麺に絡んでどんぶりの底からあがってくる。常連客はラー油・酢・コショーの混ぜ具合にもこだわる。油そば(並)650円。
#24
09/11
その日、水道橋の駅前にラーメン屋台「ゆきとら」は店を構えた。開店時間は午後9時30分頃。えっちらおっちら屋台を引いて店主の姿が現れる。東京ドームでイベントがある日は稼ぎ時。催事のない日も店主を慕う常連客が訪れて会話に花が咲く。屋台の小引き出しを開けててきぱきと麺や具材を取り出す店主は、この道30年。その仕事ぶりに熟練の技を見る。ラーメン700円。
#25
09/18
昭和49年創業の中華徳大。荻窪の商店街に店を構える一見普通の中華料理店である。実際、地元密着型で地元の人に愛されている店だ。主人は六本木でかつてその名を馳せた「上海飯店」で修行した後、家族で営むこの店をオープンした。中華料理店ではあるが「基本はラーメン」と主人は断言する。そのラーメンは豚骨、豚の背脂、鶏、煮干しと昆布を、優れたオーケストラのようにミックスしたスープが売りである。あっさりながらも濃厚だ。