ヤマザキマリ(漫画家)
戦争が終わって70年という歳月が過ぎ、今では戦争の実体験を生の言葉で語る人間のいない家族も当たり前になってきてしまいました。
私は今48歳ですが、この世代であれば、恐らく祖父母や両親が戦争経験者である、という人も少なくないと思います。母は現在82歳ですが、彼女の場合、本来なら遊び盛りだったはずの小学生の時代が、まるまる戦争の記憶で埋められてしまっています。だから、私が小学生だった頃は、当時の自分の姿を重ねてしまうのか、執拗に執拗に戦争の話を聞かされてきました。
暮らしていた家が軍隊の宿泊所にされてしまったこと。空襲警報が聞こえると犬と鉄製のベッドの下に隠れた事。食べるものも着るものもろくになかったこと。何度も聞かされた母のそういった話は、今では私の頭の中に楔のようにしっかりと打ち込まれています。
しかし老いた母はもう、戦争の思い出話を率先して話そうとはしません。人間の脳には、苦しかったり大変だった経験を積極的に忘れさせようとする働きがあるのでしょう。
私が耳にしてきた戦争を語る言葉は、母の年代の人間が語る第二次世界大戦に限ったことではありません。例えばシカゴでは打ち上げ花火を見ていた時に、嬉しそうな歓声が上がる中から「この音を聞くとイラクの日々を思い出す」という言葉が聞き取れました。私の後ろに立っていた自分と変わらない世代のアメリカ人の男性2人は、生身で戦争を体験してきた人たちでした。
かつて暮らしていたシリアも、今では地元の知り合いの誰ひとりとも連絡が取れませんし、旅で訪れた街や遺跡はどこも爆撃や爆弾でボロボロの変わり果てた姿になっています。お古のセーターを着たかわいい少年に案内されて見学したモスクも、爆撃で跡形も無くなっていましたが、あの子が果たして生き延びられたのかどうかもわかりません。
ダマスカスで爆撃を受けて負傷をした3歳くらいの小さな男の子が、亡くなる直前に病院の診察台の上で、大声で泣きながら「神様にいいつけてやるんだから」と訴えている動画を見た事があります。たった3年しか続かなかった人生の最後に、人間の残酷さと向き合わされたこの子の言葉は「いっぱい楽しく幸せに生きて行くってあんなに神様と約束したのに」というようにも聞きとれました。
戦争を語る言葉は間接的なものではあっても、何にも勝る表現として私たちに戦争の恐ろしさを伝える力を持っています。戦争を語る言葉は、戦争を知らない我々に生きる尊さと、そして人間という生き物の恐ろしさを伝える大きな役目を担っています。戦争とはそれが起きている国だけの問題でもなければ、渦中にいる人だけに課せられた苦難ではありません。それを実感する為に、戦争を語る言葉を、私たちは常に頭の中で繰り返し、表現し、周りに伝えていかねばならないと感じます。