球童 伊良部秀輝 ~生き続ける野球愛~
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「悪童」と呼ばれた男、伊良部秀輝。 彼の死からまもなく4年。伊良部と関わった人々は今なお悔しさを抱えている。 番組ではチームメイトとして戦った多くの球界関係者へのインタビューを重ねた。 そして、数々の証言から浮かび上がってきたのは野球に対するひたむきさ。 誰よりも野球を愛した伊良部秀輝の素顔を描くスポーツドキュメント。
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「悪童」と呼ばれた男、伊良部秀輝。 彼の死からまもなく4年。伊良部と関わった人々は今なお悔しさを抱えている。 番組ではチームメイトとして戦った多くの球界関係者へのインタビューを重ねた。 そして、数々の証言から浮かび上がってきたのは野球に対するひたむきさ。 誰よりも野球を愛した伊良部秀輝の素顔を描くスポーツドキュメント。
ふてぶてしいまでのマウンド上での威圧感。 マスコミへの悪態。 伊良部秀輝は「悪童」と呼ばれていた。 しかし、伊良部秀輝と共に戦った多くの男たちは、その野球への想いと才能に魅せられた。 1993年。当時の日本最速158キロをマークした西武ライオンズ清原との真っ向勝負。イチロー、松井秀喜らとの速球勝負に野球ファンは酔いしれた。 1997年。MLB、NYヤンキース入団。 先発投手として活躍し、ワールドシリーズを2度制覇。 2003年。日本球界に復帰。星野仙一監督のもと、13勝をあげ、阪神タイガース18年ぶりのセ・リーグ優勝に貢献した。2004年引退。 日米を跨いで偉大な功績を残した伊良部。 感覚派とイメージされがちだが、とても研究熱心で理論派。投球フォームの話で夜を明かす事もあった。野球を愛する姿は求道者そのものだった。 2011年5月。伊良部秀輝のマスメディアへの最後の出演となったインタビュー。 当時42歳。2度目の引退から1年半が経ち、プロ野球選手として活躍の場が無いと悟った伊良部はどこか寂しげだった。その2か月後、自ら命を絶った。 関係者の証言と当時の映像を交えながら、伊良部秀輝の今一度その功績と遺志を振り返ります。 VTR出演 星野仙一 牛島和彦 吉井理人 下柳剛 団野村(エージェント) ジョー・ジラルディ(現NYヤンキース監督、元ヤンキース捕手) Kota(メジャーリーグ関係者) ジョージ・キング(ニューヨークポスト記者) 定岡智秋(アイランドリーグ ファイティングドッグス元監督) 大河 賢二郎 (尽誠学園野球部 顧問) 松井 義輝(尽誠学園野球部 監督) 高島正春(小中学校同級生) 協力・インタビュー音声提供 田崎健太(『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)著者) 初回放送:2015年3月29日