#4 「豊臣家派閥抗争」 2012年10月24日放送

#4 「加藤清正 VS 小西行長」

#4 「加藤清正 VS 小西行長」
#4 「加藤清正 VS 小西行長」

江戸時代 石高45万石と言われた肥後国。1588年 秀吉はこの地を南北に分割し二人の男に与えた。熊本城を中心に北半分は武功派の加藤清正に、南半分を頭脳派の小西行長に。二人の出会いは秀吉が長浜城主だった近習時代。以来、戦いの前線を駆けまわる清正と後方支援を担当する行長は秀吉の天下統一の重要な歯車となる。 しかし、この肥後の分割統治から二人の歯車は狂い始める。そしてこのライバル対決は豊臣家を滅亡へと導く序曲ともなっていた。

タイプが全く違ったライバル誕生

二人の生き方を全く違う方向へ決定づけた合戦がある。1582年・備中高松城の戦い。 二人の主君である秀吉がとった戦法は川をせき止め、城を水没させる作戦。落城を覚悟した城主・清水宗治は家来の命を救うべく自らの命を差し出すことを決める。 その様子を見ていた加藤清正は清水宗治の行動こそ武士の鑑と感動し潔く戦いで命を捨てる覚悟を持った武将になることを決意。 一方、小西行長を感動させたのは秀吉の作戦。知恵を使い、兵を無駄に殺すことなく勝利する。戦場での槍働きだけが武将の仕事ではないことを行長は確信する。 戦において全く違う考え方を持った二人に、秀吉は肥後国を分割して与える。秀吉はなぜ、ぶつかり合う事が目に見えているこの方策をとったのか?

#4 「加藤清正 VS 小西行長」

二人の対立

二人の対立の表面化は朝鮮出兵に端を発した。朝鮮に上陸した二人は今後の方針を巡って対立する。 秀吉のためにやっている二人、しかし、考え方の違いからそれぞれの行動を批判的にみるようになる。 頭脳派の行長は「和平」を模索し、武闘派の清正は破竹の勢いで進軍。この朝鮮出兵において二人のライバル対決は決定的なものとなる。 そして、このライバル関係の陰には秀吉のある思いが隠されていた。

ライバル対決 その歴史的影響

二人のライバル対決は豊臣家の運命を変える大きな争いへと導かれていく。 二人の対決はそれぞれ派閥を作り上げ、もはやその関係は修復不可能なところまで来ていた。この争いを巧みに利用した男がいる。徳川家康。 もし、このライバル対決がなかったとしたら、豊臣家は繁栄を続けることができたのではないだろうか。 後世まで影響を及ぼしたこのライバル対決、果たして高橋英樹さんが軍配を上げるのはどちらか?

高橋英樹の軍配は…

ロマンをとるか、武をとるか・・・むずかしい! ただ、漢(おとこ)としての清正か、ロマンの行長か、と考えると「ロマン」をとりたい! 今まであまり知られていない人物だけに、商人から一武将になり、国を治めて、 しかも加藤清正と肩を並べるくらいの武将になって朝鮮征伐に向かうまで大きくなった人物。 魅力があります。 よって、小西行長!
でも自分が演じるなら、加藤清正ですね。 強くてイケイケドンドンなところは僕の性格そのまま! たぶん役のオファーがくるなら、清正しかないと思います。

加藤シルビア

加藤シルビアが見た“ライバル対決”

今回のライバル対決は、今までで一番対立構造のはっきりしている2人だと思います。
「頭脳派 対 武功派」という、真っ向から対立する二人は、戦での手法も、性格も違う中で同じ主君に仕え、戦乱の世を生き抜いていく…
ある意味、現代の会社での立場争いにも通じる、正反対の2人の対決。
勉強になりました!