毎週木曜よる10時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト: 加来耕三
江戸時代、再建に命をかけた2人の男がいた。保科正之と調所笑左衛門。保科正之は江戸、調所笑左衛門は薩摩で前代未聞の改革を成し遂げ人々を救い、のちの時代への礎を築きあげました。今回はこの2人のその後の日本の運命を変えた改革に迫ります!
徳川家康が江戸幕府を開いてから55年が経った明暦3年。江戸の3分の2を焼きつくす大火事、明暦の大火が発生。江戸城の天守閣も焼け落ちたこの大災害。この時、若き将軍家綱を支えたのが保科正之でした。正之の父は徳川秀忠。世が世ならば将軍になったかもしれない正之は家綱のナンバー2として家康の血を受け継ぐ強力なリーダーシップを発揮します。
10万人という死者を出した明暦の大火。この時、正之は食料を確保するために住民に米蔵の火を消させます。驚くのは、その際に米の持ち出しを自由にしたことです。結果、たくさんの住民が集まり火は消し止められ、持ちだされた米は救助米の役割を果たし、住民を助けました。さらに、江戸城の再建にあたっては、実用性がないということで天守閣の再建をやめてしまいます。このために天守閣は現代に至るまで存在していないのです。 被害の状況を綿密に調べさせた正之は、対岸に渡ることができず、隅田川でたくさんの犠牲者が出たことを知ると、防衛上の理由で存在しなかった橋を建設したのです。その橋は「両国橋」として現代の私達にとって欠かせないものとなっています。正之の素早い決断力とリーダーシップが幕府の危機を救い、幕府安泰の礎を築きあげたのです。
幕末前夜、のちに明治維新の大事業を成功させる薩摩藩は、莫大な借金を抱えていました。 その額500万両、約1兆2500億円にも及んでいました。時の藩主は島津重豪。茶坊主として仕えていた笑左衛門は、重豪に気に入られ、財政改革に乗り出します。薩摩藩の主な収入源は中国からの輸入品「唐物」を扱う「唐物貿易」でした。笑左衛門はより収入を増やそうと扱う品数を増やすために筆頭老中の水野忠成の元家老、土方縫之助と関係を持つことで品数の増加を果たします。さらに、大阪の両替屋、出雲屋孫兵衛と共に第二会社「島津家」を設立し、事業に乗り出します。それが「砂糖の専売」。甘かった管理体制を整え、品質を改善したことで、大きな収入を得ていきます。それでも減らない借金。ついに笑左衛門は宣言します。「250年かけて借金を返済する」。実質的な借金の踏み倒し。産業の立て直しと借金の凍結の結果、第二会社には100万両を超える備蓄がなされました。しかし、笑左衛門に悲劇が訪れます。「唐物貿易」と共に行なっていた「密貿易」を幕府から追求され、責任を感じた笑左衛門は自ら毒を盛ったのです。その背景には島津家の家督争いが関係していました。笑左衛門の死後、借金だらけだった薩摩藩は立ち直り、笑左衛門が貯めた備蓄金を使い維新へ向けて大きく動きはじめるのです。笑左衛門の死は明治時代を引き寄せたのです。 時代は違いますがその後の世の中を大きく変えた二人の改革者。果たしてゲストの加来先生はどちらを真のナンバー2とするのでしょうか。
成田までロケにでた私と加来先生。
毎回のロケの楽しみといえば…なんといってもお食事!とくに食いしん坊の加来先生は毎度毎度どんなランチになるのか楽しみにしてらっしゃるようです(笑)
今回のロケまでしらなかったのですが、成田はウナギが有名なのですね!
成田山の参道にはなんとおよそ六十店もの、ウナギ料理を用意しているとこをがあるそうです。
「ウナギ祭り」なるものまで開催されているんですね!
夏場のあつーいロケ、今回はその成田のウナギが食せるということでテンションがもう上がって上がって仕方がありませんでした(笑)
今回は「かわとよ」さんのウナギをいただきました。
こちらのたれは、明治四十三年の創業以来、継ぎ足しながら、今日まで受け継がれているそうです。
何度も何度も蒲焼きがくぐったその“たれ”には、うなぎのエキスが溶け込み、独特の深みを醸し出しています!
季節はもはや秋ですが…書いているうちまた食べたくなってきた「かわとよ」さんのウナギ。
活力をありがとうございました!