毎週木曜よる10時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト: 童門冬二
栄光をつかみかけながら破滅へといたるスタンダールの名作『赤と黒』。天下の茶人、千利休は黒を好み、天下人の秀吉は赤を好みました。しかしこの美意識の対立が利休を破滅へと導きました。そしてもうひとりの天下の茶人、古田織部は、赤でも黒でもなく、あえて割り、あえて歪めた茶碗を好みました。戦国の世で、共に、独自の美を世に放ち、天下人に仕え、そして天下人に切腹を命じられた二人の茶人。果たしてどちらが茶人として、真の天下人のナンバー2と言えるのでしょうか?本日のTHEナンバー2は戦国の世を「茶の湯」という一芸で生き抜いた二人の茶人に迫ります。
信長、秀吉のもとで「侘びの茶」を作り上げ、茶人の立場から政治にかかわり日本を動かした男、千利休。戦国時代、茶の湯は政治に深く関係していました。特に信長は権力の演出装置として茶の湯を巧みに利用したのです。そして茶会を取り仕切る茶頭に利休を任命します。利休は卓越した美意識で新しい茶の湯を示し下克上の権力者たちは、その精神に惚れ込んだのです。しかしその独自の美が悲劇を招きます。茶碗をめぐる秀吉との美意識の決裂でした。利休の愛した黒楽茶碗はろくろを使わず、手ごねで造形され、彩色も紋様もまといません。しかし、秀吉は黒は陰気な色だと嫌い、派手な赤い楽茶碗を好んでいました。秀吉もまた独自の美を愛し、利休との決裂を深めていくのです。そして石田三成の陰謀により利休は秀吉から切腹を命じられこの世を去るのです。
織部は利休の弟子でした。織部は信長の使い番として信長に仕えていました。あるとき、織部は利休の茶会に招かれた時、利休独自の美意識に圧倒されます。織部は利休のもとで、「武将茶人」として生きる道を選びます。「人と違うことをせよ」と利休から学んだ織部は独自の美を展開させていきます。茶碗をゆがませ、武家好みの多様な模様と異国趣味を用いた茶碗を生み出し織部焼きを誕生させ人々から「へうげもの」と呼ばれます。しかし織部焼きの茶碗に恐怖を感じる人物がいました。平定の世を望んでいる家康です。「この茶碗を見ていると天下統一はまだ早いと言われている気がする。」秩序に収まらない自由闊達な織部の発想が武将達の下克上の精神をあおるのではないかと危惧し、織部に言いがかりをつけます。それでもなお織部は権力に屈することなく独自の美を貫きとおします。そこにはかつての利休がいました。家康から切腹の命を受けた織部は、一切の言い訳をせず、自らその生涯を終えました。
利休と織部、共に悲劇の末路をたどった美の創造者、果たして茶人としてどちらが真の天下人のナンバー2と言えたのでしょうか。そして二人が貫きとおしたその美意識に私たちはただ、圧倒されるばかりなのです。
今回も童門先生とスタジオを飛び出して、なんとも素敵なところで撮影をしてきました!
今回は葛飾区柴又の山本亭。
地元ゆかりの山本工場(カメラ部品製造)の創立者である山本栄之助氏の自宅だったものです。木造瓦葺きの和洋折衷の建物と純和風の庭園が見事!映画のロケにも使えそうな重厚感!私の大好きな小津映画の登場人物がふっと奥から現れ出てきそう。
私たちの撮影は山本亭内のさまざまなお部屋を巡って行いましたが、印象的だったのは和室六部屋のうち角部屋にあたる、日の光がガラス窓からさんさんと入るお部屋!
畳の上で足をのばし、ぽかぽかと太陽のぬくもりを感じながら、滝も落ちる書院庭園を眺める…お仕事じゃなければ何時間でもその場にいられそうな感じでした。
こちら山本亭ではお抹茶やぜんざいなども楽しめるのがまた嬉しい!
近くには寅さん記念館もありますし、ここはよい観光スポットだと思いますよ!
おすすめスポットをまたひとつ見つけてしました!