THEナンバー2

毎週木曜よる10時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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竹中半兵衛&黒田官兵衛

ゲスト: 火坂雅志

黒田官兵衛がその晩年につぶやきます。
「わしは大海に浮かぶ一片の氷のように孤独であった。しかし、自分に似た男がこの世にただ一人だけいた・・・」
官兵衛がその人生を振り返ったとき、心の支えであったと思い起こした男それが、竹中半兵衛でした。半兵衛と官兵衛、ともに秀吉に仕え「二兵衛(にひょうえ)」と並び称された天才軍師。はたして、秀吉にとってどちらが真のナンバー2だったのか半兵衛と官兵衛ふたりの生き様とその卓越した才能に迫ります。

軍略のアーティスト竹中半兵衛!

華奢な体つきで結核の持病を持っていた半兵衛が戦国の世を生き抜くために必死で身につけたのが、孫子をはじめとする中国の兵法でした。ちょうりゃく調略こそが最も優れた戦略であると書かれていた兵法書に病弱だった半兵衛は、このげん言にわが我がい意をえ得たりとうなず頷く…その後、半兵衛はたった16名で城を落城させるなどの偉業を成し遂げ、秀吉に重用されます。そして半兵衛は山賊の寄せ集めに過ぎなかった秀吉軍を常勝軍団へと変えてゆくのです。

奇想天外な戦略家黒田官兵衛!

一方、黒田官兵衛は敵の度肝を抜く数々の戦略を企てて秀吉に重用されます。その最たるものが高松の湿地帯を利用した備中高松城の水攻めでした。兵力をかけずに相手を攻め落としたその戦略は官兵衛ならでは。秀吉が高松城を攻め落としたまさにそのとき、明智光秀が信長に謀反を起こし秀吉軍に危機が訪れます。そのとき官兵衛は秀吉にこう言いました。「殿、開運のときが参りましたな。今こそ天下を取るときでございます」思いもよらないこの一言が秀吉を天下人にしたと言っても過言ではありません。秀吉は中国大返しを成功させ天下人への道を歩み始めるのです。

半兵衛の死が名軍師黒田官兵衛の誕生だった

半兵衛は秀吉とともに播州攻めをしている陣中で息を引き取ります。享年36。そのとき官兵衛は荒木村重に幽閉され、半兵衛の死を知ったのはその4ヶ月後、幽閉から開放された時でした。その事実を知った黒田官兵衛は男泣きに泣いたといいます。その時、送られてきたのは竹中半兵衛の愛用していた軍配でした。半兵衛は、黒田官兵衛に自分の軍配を渡してほしいと言い残しこの世を去ったのです。それは、自分亡き後、その後を継ぐのはお前しかいないというメッセージでした。そこには軍師同士ならではの熱い友情があったのではと作家・火坂雅志先生は言います。「二兵衛」・・・天才軍師半兵衛がいなければ、天才軍師官兵衛もまた、この世には存在しなかったのかもしれません。