THEナンバー2

毎週木曜よる10時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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安国寺恵瓊

ゲスト: 加来耕三

天下分け目の関が原・・・戦国史上最大と呼ばれるこの戦。しかし、ある一人の僧侶がいなければこの戦は天下分け目といわれるほどの大戦にはなりえませんでした。その僧侶こそ今回のナンバー2、安国寺恵瓊。毛利家に使え外交僧として活躍した謎の僧侶、安国寺恵瓊の真実に迫ります!!

親の仇の毛利家へ・・・・

安国寺恵瓊はもともと清和源氏の流れを汲む名門安芸武田の一族の子として生まれました。しかし、その安芸武田家に毛利元就が侵攻。「武田の誇りをしかと胸に刻み、そなたの手で武田を再興せよ」。落城の際、父はそう言い残し城に火を放ちました。その後、禅寺安国寺に逃れ、剃髪。僧侶となった恵瓊は、師・竺雲恵心に才覚を見出され外交僧としての修行が始まります。そして、ある日、恵心に連れられ対面した人物。その人物こそ、父をはじめ武田の一族を滅ぼした宿敵毛利元就でした。元就は恵瓊に、その出自を訪ねます。「わしが殺した武田の末裔か…」瞬間、父の言葉が脳裏に浮かぶ。しかし…!
「生まれがどうであれ、今や恵瓊は禅僧でございます。禅僧に過去などございませぬ」
恵瓊は毛利家への遺恨をおくびにも出さず言ってのけた。周りの家臣たちは恵瓊の登用に反対するが、元就はこだわらなかった。役に立つ者は使う。外交僧の力は今後ますます必要と踏んだのです。「恵瓊どの、しかと頼みおきまするぞ」
こうして、毛利家の外交僧として仕え、戦国の運命を握ることになるのです。

天下分け目の関ケ原へ・・・

元就以降、毛利三代にわたり仕え続け、その存在は欠かせないものとなっていました。そして、慶長3年。秀吉が死ぬと満を持して家康が動き出します。
家康との戦いに向け、策を練る石田三成。その陰で動いたのは恵瓊でした。毛利輝元を西軍総大将として大阪城に入らせ、九州島津も恵瓊の力で味方に引き入れます。中国と九州の巨大勢力を一つにまとめ上げたのです。ここにまさしく「天下分け目の関ケ原」がセッティングされたのです。
しかし、言わば総合演出としてすべてを画策していた恵瓊でしたが灯台下暗し。吉川広家、小早川秀秋と身内からの裏切り者により敗戦を余儀なくされたのでした。

恵瓊は関ケ原の戦のち、首謀者として捕らえられます。自分はどんな悪名を背負っても毛利家存続のためなら・・・。責は毛利にはなく、ことごとく自分にあるとし、処刑されました。


戦国の世にうまれ、「妖僧」「悪僧」とよばれた僧侶。
当時の日本最高の知識人、東大の学長に匹敵するほどの地位を有していた彼。

その安国寺恵瓊。名前に「安国寺」がついているのは師匠恵心への思い、またこの寺にかくまわれたことにより自分の人生が変わった、という恩義の気持ちがあったからではないか、と加来先生は話していました。

この安国寺、どんなお寺なのか気になり調べてみました。

広島にあるこちらのお寺、現在は宗派を禅宗から真言宗に改め、不動明王を本坊に移して本尊とし、正式名称を「安国寺不動院」と呼ぶそうです。

こちらのお寺、見どころがたくさんありそうです!

国宝である金堂。こちらは現存する唐様の建築としては最大の遺構であり、中世の本格的な仏殿の規模をうかがうことが出来る貴重な建造物だそうです。

仏像好きとして注目したいのは、国の重要文化財に指定されている薬師如来。そして薬師如来の光背についている迦陵頻伽。極楽浄土にすむ鳥ですが、ふっくらとした顔立ちは平安美人そのもの、そして背中の羽はまるで天使のような姿を思い起こさせます。

恵瓊ゆかりの地として有名なだけではなく、注目すべきところがたくさんありそうな安国寺。ぜひ一度足を運んでみたい!