毎週木曜よる10時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト: 加来耕三
ペリ―来航から始まった幕末動乱の中、日本に革命を起こすべく駆け抜けた師匠と弟子がいました。その師匠の名は吉田松陰。そして弟子であり今回のナンバー2、高杉晋作。動けば雷電の如く、発すれば風雨の如しと謳われた高杉晋作に迫ります。
吉田松陰が高杉晋作にはじめて出会ったときの印象です。吉田松陰が行っていた松下村塾では初代総理大臣である伊藤博文や日露戦争を勝利に導いた山県有朋など明治政府の重臣となる多くの人物を育て、後に明治維新胎動の地と呼ばれます。そして門下生になった晋作に吉田松陰がある人物をライバルとしてあてがいます。その人物こそ天下の英才と呼ばれるほど頭が切れた久坂玄瑞でした。勉強が不得意だった晋作の前でわざと久坂を褒めそれに触発された高杉は猛烈に勉強・・・この松陰の育成策は見事に当たり、学力がメキメキと向上した晋作は、やがて久坂玄瑞とともに松下村塾の「松門の双璧」「竜虎」と呼ばれるようになったのです。
晋作が出家している最中、長州藩を攘夷に導いたのは久坂玄瑞でした。久坂は関門海峡を航行するアメリカの商船を攻撃します。ところが報復攻撃が始まると泰平の世に慣れきった武士たちは、たちまち逃げ出し敗北。緊急事態に軍隊の立て直しを命じられたのが高杉晋作でした。最初から武士に期待していなかった晋作は土地に対する思いが強い農民たちに武器を持たせる方が強い軍隊が出来ると考え、民兵による軍隊を作ります。それが正規の軍隊に対する奇の軍隊、奇兵隊の誕生です。
第二次長州征伐で攻めてきた幕府を奇兵隊と共に戦いを挑み勝利します。晋作の戦いぶりを山の上から見ていた坂本龍馬は、その指揮の見事さを絶賛。この戦いで一大名に屈服した幕府は、以後、急激に力を失って行きます。しかし高杉晋作に悲劇が・・・なんと当時死の病と言われた肺結核におかされていたのです。晋作は辞世の句で「おもしろきこともなき世をおもしろく」とここまで書くとその後を書き続ける力がなくなり、見舞いの野村望東尼が、 「すみなすものはこころなりけり」と続けました。これを見た晋作は、「おもしろいのう」と言い残しこの世を去ります。享年29。奇しくも吉田松陰と同じ歳。日本を変える長州藩倒幕運動の中心はこんなにも若い人物たちだったのです。
高杉晋作といえば吉田松陰が特に目をかけていた人物。
今回の放送前、イメトレに励もうと決心した私は、週末をつかって世田谷の松陰神社まで行ってまいりました!
萩の松陰神社には足を運んだことがありましたが、都内のは初めて。松陰先生待っていて!と念じながら世田谷線の路面電車にゆられ繰り出してきました。
うっそうと茂る木々の間をぬけるようにひっそりとただずむ社殿。
晴れの土曜日ということもあり、人が絶えることはありませんでした。
熱狂的ファン(?)とみえた若者もいて、時間をかけて先生になにやらお願いごとをしていた姿が印象的でした。
まるで平成にいきる松下村塾の弟子!
私は今回の放送の成功、そして弟子の伊藤博文ばりの出世をお願いして帰ってまいりました!!!おほほほ。
寺社仏閣めぐりをこよなく愛する私。
またあらゆるところに出没していこうと考えております。