毎週木曜よる10時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト: 童門冬二
群雄割拠の戦国時代。「独眼竜」の異名をもつ伊達政宗は疾風怒濤のごとく奥州を駆け抜け、天下とりに野心を燃やしていました。政宗には、つねに傍らにいて参謀的な役割を担う者がいました。それが今回の主役・片倉小十郎です。
実は小十郎、かなりの演出家でもありました。その演出とは? 戦国という舞台で片倉小十郎が行ってきた数々の名演出に注目していきましょう。
伊達政宗は伊達男の語源ともいわれるほど派手好きで知られていますが、幼少の頃は内向的な性格でした。理由は伊達政宗の象徴ともいえる右眼にあります。政宗は疱瘡を患い、右目の眼球がせり出して垂れ下がっていたため、これが大きなコンプレックスとなり、人前に出るのも嫌がるほどでした。御家存続の危機を感じた小十郎は思い切った荒療治に出ます。なんと政宗の右眼を自ら切ってしまったのです。命がけの荒治療でしたが、小十郎は政宗のコンプレックスの原因を取り除くことに成功。弱気な心を克服させ、活発な 性格に変貌させてゆきます。二人は強い絆で結ばれます。
東北で名を馳せていた政宗に危機が訪れます。それは天下を狙う豊臣秀吉 との大事な謁見を御家騒動で一ヶ月近くも遅らせてしまったのです。相手はあの秀吉。場合によっては切腹も覚悟しなければありません。このままでは伊達家は絶体絶命のピンチ。しかし小十郎は秀吉の性格を分析、ある演出を考え付きました。小十郎の考えた演出それは、政宗白に死装束をさせ、髷を切ったざんばら髪のいでたちで秀吉と謁見させること。死を覚悟した殊勝な態度。これを見せつけることが、小十郎の演出でした。芝居がかった演出が好きな秀吉の性格を計算したうえでひねり出した命がけの演出でした。
伊達政宗を祀る青葉神社が宮城県仙台市にあります。
なんとそこを守っている宮司は片倉家16代当主の片倉重信さん。ふたりの固く結ばれた絆は400年の時を経た今でも脈々と続いているのです
片目を患いひっこみじあんであった伊達正宗を叱咤し、
自ら彼の片目をきりおとしたという片倉小十郎。
そのときの小十郎の年齢が19歳だったとのこと。
現在と比べて当時の19歳はだいぶ大人だったのでしょうが、
それをさしひいても、自らが仕える人物の顔に刃をむける勇気を持っているだなんて…その胆力に感服します。
彼の知力、直観力、そして秀吉や家康にまでスカウトをされるくらいの
「ナンバー2」としての手腕。
そしてなによりも伊達正宗への生涯かわらぬ忠誠心。
どこをとっても、もっとも「ナンバー2らしいナンバー2」の
ひとりと言えるでしょう。