毎週木曜よる10時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト: 童門冬二
「すばらしい!!すばらしいぞ!!」
民主主義の国となった現代の日本。この男がその事実を知ったら誰よりも
歓喜するだろう・・・今回のナンバー2は700年前、三大改革のひとつに挑んだ男、楠木正成の物語です。
時は鎌倉時代末期。当時、幕府は、土地を管理する荘園領主や地頭に反抗し、年貢を 略奪する集団を「悪党」と呼んでいました。多くは、農民や地侍など、武装した大衆勢力。その悪党たちを河内一帯で束ねていたのが正成でした。「何もしないで年貢をとりたてる幕府や公家こそが泥棒だ。奪った米は、すべて農民たちにかえしてやれ!」幕府からは悪党と呼ばれた正成。しかし、棚田の名所であるふるさと・千早赤阪村では、狭い土地を耕す貧しい農民たちから慕われる存在でした。
そんな中、幕府を打ち倒そうとする人物が登場します。それが、後醍醐天皇。兵力を 持たない天皇は、武士以外の勢力に目をつけたのです。そして正成に白羽の矢が立てられました。「そちが楠木か・・・おもてをあげよ」正成は、神のような存在である天皇から意外なことを告げらます。「朕は・・・そちの夢をみた」その夢・・天皇の前には一本の大木があり、現れた二人の童子が告げた。「帝がお座りになる場所は、この木の下しかございません」「その木は南の方角にあった。「南」にある「木」、つまり「楠」。『くすのき』こそ、わが力になる人物の名だ。」だが、正成はここでひるまずに答えます。
「兵力だけを申せば、わが軍勢は少数。到底、幕府には勝てません。だが、この正成が、知略をふるえば、どんな大軍でも勝つことは不可能ではありません」「天皇」と「悪党」と呼ばれた男。「天」と「地」ほど、身分が違う2人の夢がひとつに結ばれた瞬間でした。
後醍醐天皇との夢のために生涯、忠義を尽くした楠木正成。その忠臣としての生き様は後世に模範として受け継がれます。元禄2年。正成、最期の地である湊川に墓碑が建立されます。碑文の文字を書いたのは徳川光圀。正成の忠誠心を慕い「嗚呼忠臣楠子之墓 (ああちゅうしんなんしのはか)」と刻みましだ。そして、正成の死から550年後、この墓前を坂本龍馬、西郷隆盛らが訪れました。正成と後醍醐天皇、二人の夢は明治維新の志士たちへと受け継がれて時代を動かしていったのです。
今回は正成にまつわる数々の「場所」に私は食いついてしまいました!
なにを隠そう、私は仏女。仏像をこよなく愛する女子なのです。
まず、彼が育ったという大阪観心寺。
こちらには秘仏である素晴らしく美しい如意輪観音がいらっしゃいます。
唇が赤く肉感的、セクシーそのものの観音様。
開帳の際はわざわざこの観音様に会いに大阪へ出向いたほど。
私の大好きな観音様です。彼もこの観音様を見たのかしら…?
色々な想像が膨らみます。
また後醍醐天皇が京都から逃げ込み挙兵した笠置山。
こちらには大きな崖に彫られた見事な磨崖仏を見る事ができます。
桜の時期には枝垂れ桜と巨大な磨崖仏のコントラストを堪能できるのです!
あの絶景は忘れられないですね。
私のお気に入りの「仏スポット」が今回は数々登場し、いろんな意味で思い入れのある回になりました!