毎週木曜よる10時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト: 井沢元彦
明治維新とは何なのか?
単に徳川幕府が終わったのではありません。朝廷における平安以来の摂関政治をも廃止したのです。それを画策し自らの筆一本で千年の歴史を変えた男こそ今回のナンバー2岩倉具視。今回は陰険な策謀家であり、維新の立役者でもある岩倉具視の真実に迫ります。
岩倉はもともと下級の公家の出身でした。岩倉はまず出世のために時の関白・鷹司政通に接近します。その手段は・・・歌でした。岩倉は歌道の弟子となり取り入っていったのです。武士が剣なら公家は筆。この時から筆一つで自らの地位を書きかえていったのです。
黒船来航により時代は動乱の期を迎えます。攘夷や公武合体など様々な論争が巻き起こる中、岩倉は妹・紀子が天皇の寵愛を受けたのを機に、和宮御降嫁を成し天皇の信頼を得ます。そして、ついに幕府、老中と対面。そこで岩倉は強烈な張り手をかまします。「幕府は和宮を人質に、天皇の廃位を企てているともっぱらの噂だが」公家社会に流れていた噂を利用した奇襲攻撃。慌てて老中たちが誓詞を差し出すも、将軍直筆の誓書を要求。家康以来はじめて徳川家との力関係が逆転。幕府をひれ伏せさせたのです。しかし、この後、思わぬ事態が待ち受けているとは知らずにいました。
岩倉の出世を疎ましく思うものは少なくありませんでした。長州が支持する三条実美ら十三人の連署によって岩倉に蟄居が命じられます。ここから五年間の幽閉生活を強いられるのです。しかし、ここからが岩倉の本領発揮。岩倉はひたすら手紙や意見書を書き続け、大逆転の秘策を巡らせたのです。そして、運命の慶応三年十二月八日。孝明天皇死去の恩赦で蟄居が説かれた岩倉は、赦免決定の前に次の間に控えていたのです。会議は夜通し続き、朝方終了。二条関白が退席。そして、晴れて宮中入りを許された岩倉が文章を捧げ入室。
「上奏文でございます」岩倉が読み上げた文章では、幕府廃止だけでなく、摂関政治廃止まで述べられていたのです! 「これは国会で国会廃止を主張するようなもの」と作家の加治将一先生は言います。
自らの筆一つ、策略一つで、千年の歴史を変えた岩倉具視。
ある意味で明治維新とは、つまり、この男の野望そのものを言うのかもしれません。
岩倉具視、大久保利通とともに王政復古のクーデターをなしとげた人物。
(私は実物は見たことはありませんが)500円札にまでなった人物。
あの岩倉使節団で唯一チョンマゲ姿の人。
しかしもともとは下級公家、
それ以前は活躍の場をなかなか与えられないまま月日がすぎていきました。
そんな中、彼が日の目を見たキッカケが何と「歌」だったとは!
関白鷹司政通の門流となり政治的発信力をも強めていったのです。
「趣味」を通じて上司に気に入られようとするこの作戦…。
古典的ではありつつも…
まさかこの時代から使われていたとは思いもよりませんでしたっ。
その後も、あっと驚くような綿密な「作戦」の数々…
それは頭脳プレイというべきか、ずる賢いと言うべきか…。
これから私小林悠が、こちらの番組の一員に加わらせていただきます。
社会人に必要な処世術を歴史からどんどん学び取りたいと考えております!
よろしくお願い致します。