毎週月曜22時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト: 加治 将一
坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎、勝海舟、徳川慶喜・・・。
幕末・明治維新を通して歴史に名を残した数々の男たち。
しかし、今回のナンバー2はそんな"表"の主役たちに勝るとも劣らない活躍をしながらも歴史から一度忘れ去られた陰の主役、"幻の宰相"と呼ばれた薩摩藩家老、小松帯刀に迫ります。
幕末から明治維新にかけ、日本の政治をリードした薩摩藩。その第11代藩主島津斉彬は、類まれな先見性を持っていました。富国強兵を推し進め、軍艦や大砲の製造などを行う日本最初の近代洋式産業群、集成館事業を進め、いち早く近代化への道を歩んでいました。そして、斉彬の死後、その遺志を引き継いだのが小松帯刀でした。帯刀は27歳にして家老に抜擢され薩摩藩を背負い立つことになったのです。
1864年、池田屋事件。これが帯刀と坂本龍馬の運命の出会いとなります。
当時、勝海舟の下、神戸海軍操練所の塾生であった龍馬。しかし、池田屋事件によって塾長の勝海舟が軍艦奉行を罷免、廃塾が決定。勝は龍馬をはじめとする塾生の身の振り方を西郷に相談。西郷からその話を聞いた帯刀が、龍馬たちを大坂の薩摩藩邸に受け入れたのです。さらに帯刀は、龍馬たちを薩摩に連れて行きます。帯刀が、龍馬に見せたもの。
それが集成館事業でした。軍艦や大砲を間近で見た龍馬は大きな影響を受けます。その帰路、長崎へ向かい、薩摩藩の費用で龍馬らに給料を払い薩摩の交易船に乗り組ませました。こうして亀山社中が結成されたのです。
明治維新を語る上で欠かせないターニングポイントの一つ、薩長同盟。 その歴史的な同盟調印の場こそ小松帯刀の邸宅だったのです。 1865年7月21日。長崎の薩摩藩邸に居た帯刀のもとに、亀山社中の近藤長次郎に伴われ、長州の伊藤俊輔と井上聞多がやってきます。用件は、「薩摩名義で武器や艦船を買いたい」というもの。長州は、幕府の目が厳しい長崎で武器の調達がままならなかったのです。一方、帯刀は、長州から「米」を贈ってもらうことを条件に、この申し出を引き受けます。龍馬を仲立ちとして薩摩と長州の関係が深まって行くのです。そして、1866年1月、龍馬の勧めで長州の桂小五郎が上京。薩摩藩代表として帯刀が出席し京都の小松帯刀邸で薩長同盟が結ばれたのです。 龍馬は、姉の乙女宛にこう書います。「薩州小松帯刀と申す人が出してくれて、 神も仏もあるものにて御座候」帯刀の公私に渡る援助がなければ、龍馬の活躍はなかったのです。
小松帯刀は薩摩藩の'財布'のような役目、といったらいいのでしょうか。
時代が大きく変わろうとしているとき
何に出資すべきか的確に判断したからこそ
西郷も龍馬も活躍できたのでしょう。
名門に生まれ小さいころから秀才だったのに
既得権益にとらわれることなく
変化に対応しようとした本当の逸材ですね。