THEナンバー2

毎週月曜22時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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源義経

ゲスト: 井沢 元彦

鎌倉幕府成立は、二人の兄弟によって成し遂げられました。
兄・源頼朝。平家に父を殺され20年間流刑生活を送りましたが、仇である平家を討ち、征夷大将軍まで上り詰めました。
一方、弟・源義経は、その兄を助け、「一の谷」「壇ノ浦」など数々の源平合戦を常に勝利に導き、戦の天才として、その名を今に残しています。
お互い手を取り合った兄弟でしたが、ある時を境にその関係を変えていきます。鎌倉・腰越には、兄弟のすれ違いの手紙が今も残っています。
「兄はなぜ会ってくださらんのか!」
その裏には、影で糸を引く後白河法皇の存在がありました。美しい兄弟愛の果ては、お互いを憎しみあう悲しい結末に…。悲劇の弟、追われた英雄・源義経の真実に迫ります。

修行の地、岩手県赤沢地区

平治の乱。義経は母、常盤御前が平清盛の妾となることを条件に命を救われることになり、義経は鞍馬寺に預けられます。しかし15歳を過ぎる頃、義経は寺から抜け出し、母親の血縁を頼って奥州に向かうのです。迎えたのは藤原秀衡。岩手県・赤沢地区。義経はここで武術の修行に励んだといいます。この地はかつて、金と軍用馬の産地でした。このあたりは、今でも義経が修行した場所が、「的場」「鐙越し」など、地名として残されています。しかも、この地には、地元の娘と義経の間に生まれた女の子もいました。その子孫が代々守ってきた社が、現存しています。
そして特に注目されるのが、この地での修行が、あの「一の谷」の合戦を勝利に導いたとも言われている事です。義経が馬術を練習したと言われるこの地のある斜面が、一の谷・鵯越の斜面と似ているのです。この経験がなければ、一の谷の勝利は無かったのかも知れません。

兄・頼朝との確執

数々の合戦を義経は勝ち続け、ついに平家を滅亡へと追いやります。しかし、三種の神器のうちの一つを回収できず、兄・頼朝の期待にあと一歩のところで応えることができませんでした。義経は弁明をすべく鎌倉に向かいますが、頼朝はそれを許しませんでした。
この状況を利用したのが影の主役、後白河法皇でした。後白河の情報操作により義経が謀反を起こすと考えた頼朝は、非情なる決断を下します。弟、義経の暗殺命令…

大阪城落城に加担!?

頼朝は義経暗殺のための追っ手を放ちました。連戦連勝の立場から、一気に追われる身となった義経。この逃避行の中で、あの有名な歌舞伎・勧進帳が生まれます。そして義経は、31歳で自害の道を選ぶことになります。
しかし、人々は義経の死を信じませんでした。義経は岩手・高館では死なず、蝦夷の地で、あるいは国外で暮らしていたとも囁かれました。

 


「ひよどり越え逆落とし」に「八艘とび」ととても派手なエピソードの残る
義経。鞍馬寺で修行を積んで身体能力が高かったのでしょうね。
意表をつく作戦で平家を翻弄し軍事的な才能はあったようです。
しかし兄、頼朝との関係は一方通行。報われない最期を遂げました。
知れば知るほど可愛そうに思えて…
やはり私も判官びいきの日本人です〜