毎週月曜22時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト: 井沢 元彦
足軽から天下人へ駆け上がり、戦国の世に天下を知らしめた男、豊臣秀吉、その大出世物語を支え続けていた女性がいました。それが今回の主役、秀吉の正室、北政所おね。当時としては珍しく、恋愛結婚で結ばれた二人。おねは、尾張弁丸出しで堂々と夫に物申し、あまたの養子を立派な戦国武将に育て上げた「ニッポンのおかかさま」。さらに秀吉をも凌ぐ国家経営の才能も発揮し、豊臣家の安寧を築きます。しかし秀吉の死後、豊臣家滅亡…。その原因はなんと北政所とも囁かれてきました。
果たしてその真相は…
戦に出向く秀吉と城下を任されるおね。二人を強固に結びつけたのは、なんとラブレター。
「こたびの遠征では白髪が増えるばかり。多過ぎて抜くこともままならぬ。そなたに見られるのが恥ずかしゅうござる…。」
時には長期遠征の愚痴をこぼす秀吉でしたが、交わされていたのは単なる近況報告だけではありませんでした。実はこれが、秀吉の政治戦略における重要なホットライン。二人はマメに手紙を交換し合い、戦略上重要な人質の計画や城下の様子を報告しあい、主なき城下の采配に気を配りました。この、細やかな手紙のやり取りが後の天下統一への強固な基盤へとつながったのです。
「できた女房」と評された北政所と側室・淀殿との関係については、様々な噂がついてまわっています。淀に鶴松が生まれた当時は、豊臣家の為に協力しあう「二人かかさま体制」といわれ、 人質の監督はおね、子供を育てるのは淀、と役割をきれいに分割していたと言われています。 秀吉は、戦を抱えながら天下を治めるという難しい舵取りの中で、この体制を大いに役立てて
ゆきます。
秀吉の死を虎視眈々とうかがっていたのは、実力派の大名・徳川家康でした。武将たちの間では東軍である家康につくか、はたまた西軍の三成につくか…激しい駆け引きが始まりました。この時北政所が願ったことは秀吉が一代で作り上げた豊臣家の存続でした。そこに策士黒田長政が動きます。長政は、北政所自身も心の裡では家康に傾いていることを察し、北政所に育てられた小早川秀秋に狙いを定めます。
「徳川方につくことを早々に決断されよ。われわれ北政所様に恩義ある者は、それこそがお心に報いることだとわきまえよ」
“北政所”という存在は、図らずも"天下分け目"の天秤を大きく徳川へと傾けていたのでした。
秀吉から送られてくる人質の管理を任され、
おねがキメ細やかに世話を焼いた様子が残っていますが
本当に「おかかさま」という温かみを感じました。
こんな気さくで懐の深いおねなのに淀殿とはうまくいかなかったようです。
プライドと豊臣家の存続とを天秤にかけながらも
関係改善には少しあきらめたような雰囲気も感じられます。
オンナの感情は一筋縄ではいきませんよね。