THEナンバー2

毎週月曜22時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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遠山金四郎

ゲスト:井沢 元彦


「おうおうおう!この桜吹雪が全て御見通しだ!」
この台詞で有名な遠山金四郎こと遠山の金さん。金さんといえば桜吹雪!のイメージが強いですが実はこれ、全てフィクション。しかしなぜこのような物語が生まれたのでしょうか。そこには当時の時代背景と遠山金四郎の行動にヒントが隠されていました。金さんヒーロー伝説の真相を探っていきましょう。

金さんに「桜の彫物説」が生まれた理由!?

明智光秀を祖先に持ち将軍家に縁のある遠山家でしたが、金四郎の家庭環境はとても複雑でした。金さんの若いころは、優秀な父に対する劣等感や、実の息子なのに家を継ぐことができない事情などに嫌気がさし、浅草の町などをぐれて放浪していたのだそうです。彼の不良時代の話から桜吹雪の彫物をしていたという伝説が生まれたのかもしれません。しかしその、放浪の経験が後の江戸庶民を救うことに
なるのです。


町奉行の仁義無き戦い

当時は物価の高騰が大きな問題になっていました。深刻な財政危機に直面した幕府は、物価が高騰した原因は庶民の贅沢だと考え、暮らしの隅々まで贅沢の禁止を命じました。これが水野忠邦の行った天保の改革のひとつでした。次々と出される法案に苦しめられる庶民達。しかしそこに待ったをかけたのが、当時の町奉行達でした。

「金さん」というヒーローが生まれた理由

水野の禁じた贅沢の中に芝居も含まれていました。当時の江戸庶民にとって芝居は欠かせないものでした。江戸の庶民の事を知り尽くした金四郎は庶民の楽しみである芝居の廃止に反対。目上の人に意見するなんて当時としては許されない行動・・・
しかし意外にも、将軍家慶が金四郎の意見に賛成。水野に改革の再検討を指示したのです。
芝居小屋は廃止を免れ、小屋は浅草に移されました。浅草の町は大賑わい。庶民たちの喜びようは想像に難くありません。そして当時の芝居関係者も、この出来事に感謝の意を表したのか、「遠山の金さん」物語をたくさん作り出しました。
江戸庶民のヒーローだった金四郎は、現在も金さんとして人々に愛され続けています。


実際にはなかったのに桜吹雪がトレードマークになったのはナゼなのか?
その理由は庶民の強い願いの結晶だったようです。
あの金さんのイメージとは反対に実際の金さんは
庶民への締め付けを厳しくする老中水野の下で悶々とした日々。
表立って反対するわけにはいかず かといって庶民の気持ちも無視できず…
金さんは命令の実行を遅らせることで少しでも庶民の力になろうとしたようです。
お芝居での気風のいい金さんは この時代の庶民の願望から生まれたものだと
想像できますが 一番そうありたいと思ったのは金さんかもしれませんね。