THEナンバー2

毎週月曜22時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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島左近

ゲスト:加来耕三


「三成に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」
石田三成には、佐和山城と並び"三成にはもったいない"と謳われるほどの家臣がいました。その人物こそ今回のナンバー2島左近。たとえ相手が強大であっても、一度主君と仰げば劣勢をものともせずに戦い抜く「義の人」、それが左近だった。三成に殉じた島左近の人生を紐解きます。

戦国の世に名を馳せた島左近

島左近は代々、大和・筒井家に仕えていました。当時弱小勢力であった 筒井家を滅亡の危機から救います。そのおかげで筒井家は大和一国の支配権を認められる大名となり、島左近の名は瞬く間に広がりました。しかしその数年後筒井家の新しい跡継ぎと対立し、浪人となります。様々な仕官要請が舞い込む中、あの家康も声をかけたとか・・・。しかし島左近が首を縦にふった相手は石田三成でした。


なぜ三成のナンバー2になったのか

知略に優れた石田三成。それとは逆に武力に優れた島左近。なぜ島左近は石田三成に仕えたのでしょうか。左近よりも一回り以上年下で、戦歴も不十分…。 当然左近は断りました。それでも三成は諦めませんでした。自分が持っていた石高の半分近くを左近一人に差し出し、その心意気に惚れた左近は一転、最後の最後まで三成に忠義を果たす家臣となったのです。

最初で最後の大舞台へ・・・鬼左近出陣!

主君三成にとって関ヶ原の戦いは「豊臣政権死守」を掲げた正義の戦いでした。 島左近の戦う姿は別名「鬼左近」。主君三成と共に戦った最初で最後の大戦。島左近の姿を鬼に変えたのは三成に対する忠義から生まれたもの。敵は島左近の姿があまりに恐ろしすぎて、誰一人まともに見ることができなかったといわれています。関が原の合戦では西軍に華々しい勝利をもたらし、あの家康さえも恐れた猛将、島左近の真実に迫ります。


「しまさこにゃん」のかわいらしいキャラクターで人気ですが
"にゃん'"なんてついているのを本人が知ったら睨まれそうな超硬派な人物です。 20歳も年下の石田三成がどうしても欲しかったのは戦の勝ち方を知っている男だっ たのでしょうね。なのに…どうして三成は左近の再三の家康暗殺計画を却下したので しょう?
あまりにも真面目すぎる三成の“義"感覚がどうしても暗殺という方法を 許せなかった。一方で左近は戦国時代においては勝つことこそが“義"という考え。 その後の関が原では主君三成を逃がし 自らは関が原に散ったとされる左近。
主従関係を超えた男たちの熱い思いが感じられます。