毎週月曜22時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト:井沢元彦
徳川300年の基礎を築いた人物といえば以前番組でも紹介した2代目秀忠。そしてそれを支えたのが妻であり今回のナンバー2である「お江」です。 二度の落城、両親との死別、そして三度に渡る政略結婚…波乱万丈な運命を背負いながらも、将軍正室というファーストレディーにまで上り詰めたお江。 信長、秀吉、家康…偉大な三天下人と縁(えにし)を結び、一族の血を守りぬいたファーストレディーは、いかにして激動の時代を生き抜いたのか。知られざるお江の素顔に迫ります。
浅井三姉妹の三女であるお江。お市に似て三人とも美しくそして仲が良かったと言われています。しかし戦乱の世は三姉妹をさまざまな事件に巻き込んでいきます。 信長の命によって父長政を亡くし、信長の死後は母お市を賤ヶ岳の戦いで亡くします。秀吉に保護されたものの秀吉の命により2度の政略結婚をさせられますが、結果は離婚と死別。3度目の結婚で徳川家に嫁ぎ子供にも恵まれますが徳川家と豊臣家の溝は深まっていき、とうとう大阪の陣では秀吉に嫁いだ長女淀殿が自害してしまいます。不条理な戦国の世をお江は姫としてどう見ていたのでしょうか。しかしお江は家族を再び一つに結ぶ、ある計画を思いつきます。
夫・秀忠が目指したのは、秩序ある武家社会。それはいわば現代に続くサラリーマン社会の原型でした。そこで最も重要な将軍補佐官として、腕を振るったのがお江です。 お江は、常に新鮮な情報を仕入れて秀忠へと伝え、また諸大名の人事などにアドバイスも与えていました。そして大奥の基礎につながる『大奥法度』を設立します。300年続く徳川家の礎を築くことが出来たのはお江の生み出した人徳にあったのかもしれません。
戦国を生き抜いてきたお江は、人の上に立つ者には何が必要かを痛いほど知り尽くしていました。そうした目で見た時に、嫡男、家光は「将軍という器ではない」というのが客観的な判断でした。しかしそれに待ったをかけたのが春日局です。巷で言われるような「女対女の見得の争い」だったのでしょうか。家康にお江と秀忠の世継ぎ問題を提示し、お江に意見したと言われていますが、現在の研究で春日局の身分はあまりに低く二人に意見することは不可能であったはずといわれています。なぜお江ばかりが悪く言われてしまったのでしょうか。それにはある事実が隠されていました。
夫は2代将軍、娘は天皇に輿入れし生まれた孫はのちの天皇に。
さらに息子は3代将軍というまさにスーパーママ、お江。
これだけ頂点を極めた女性にしてはエピソードが少ないのが気になります。
肖像画もなぜか尼僧姿。表に出ることを好まない人物だったのでしょうか…
お江の人生前半は波乱万丈でしたが 子をたくさん授かった後半は
子どもたちによって徳川家での居場所を確保したように見えます。
運命に翻弄されながらもたくましく生き抜いたスーパーレディでもありますね。