THEナンバー2

毎週月曜22時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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豊臣秀長

ゲスト:堺屋 太一


日本史史上ナンバー1出世男、豊臣秀吉。秀吉が天下人となるため生涯支え続けた男がいた。豊臣秀長。秀吉の弟である。生涯不敗大名であり、武功にもすぐれたと言われる豊臣秀長とはいったいどんな人物だったのか?名補佐役の活躍に迫ります。

補佐役人生は兄のスカウトから

永禄4年。尾張の農村に兄・秀吉が帰ってきました。貧相な馬を連れ、武士らしい格好をしてきた兄は、開口一番こう言った…

「俺の家来になってくれや!」

驚く秀長を強引に誘った秀吉。この時の秀吉は、木下藤吉郎と名乗っていた足軽時代。馬など連れ歩くほどの身分ではありませんでした。突然の兄の説得に戸惑いながらも、兄の誘いを受ける秀長。生涯陰で兄を支える補佐役人生が始まるのです。


営業役・秀吉 調整役・秀長―

秀吉は、主君・織田信長の居城、清洲城の修復を買って出ます。しかも修復を10日で行うと約束をしてしまった秀吉は、ある人物に現場を任せます。
「やっぱりわしかぁ」 その男こそ秀長でした。短期間で大規模な工事を行うにはどうしたらよいか? 秀吉は画期的なアイディアを生み出します。それは「割普請」という、工事に携わる人々を20に区分けし、20のグループに分けるというものでした。さらに携わる人々に競争させ工事を早く進ませたのです。このため、現場はケンカとなることもあったといいます。そんな時、調整役となったのが秀長でした。見事に現場を取り仕切った秀長。結果、工事は予定より3日も早く終えることができたといいます。兄の営業力・アイディアと弟の調整力が見事に融合し、出世街道をのぼりつめることとなるのです。

もっとも困難な殿軍(しんがりぐん)を任された秀長―

天正10年、織田信長が本能寺の変において死去。秀吉は人目も憚らず大声で泣いたといいます。しかし、秀長は秀吉のこの演技の部分を見つめていました。秀吉は自らの純情を示すと共に、自らを「悪役を打つ正義の味方」に押し上げようとしていたのです。信長の死の知らせが広まる前に、上方へいかなくてはならない。秀吉は備中から姫路へと戻ります。こんなとき、一番難しいのが殿軍(しんがりぐん)。
この大役を負かされたのも 「やっぱりわしか」・・秀長でした。そして、天下分け目の決戦「山崎の合戦」が始まります。ここでも先陣を務め見事勝利をおさめる秀長は、信長の後継者を決める賤ヶ岳の戦いにおいて、乾坤一擲の賭けに出るのです。

そろばんで天下統一?

備中高松城の水攻めでは、秀長の「そろばん」が活躍します。水攻めのために城を囲む土手の長さや高さ。そして、作業する人々への手当て。事務的な調整はすべて秀長が取り仕切ったといいます。戦の勝敗は秀長にかかっていた・・・。天下統一へ向け、表にでることなく陰で兄を支えた秀長。日本史史上ナンバー1の出世男、秀吉には頼りになる弟の存在が欠かせなかったのです。


秀吉を献身的に支えた3歳年下の弟、秀長。
任されるのは 戦では殿、政権内の調整役、資金調達係とどれも難しいものばかり。
しかし秀長は大風呂敷を広げ突っ走る兄をしっかり支え続けました。
ところで 秀長にスポットライトをあてたのは 今回のゲスト堺屋太一さん。
それまで秀長は‘秀吉の七光りで出世した身内’という位置づけで
秀長の武将としての優秀さについては全く注目されていなかったそうです。
独自の視点・発想の転換・資料の研究の賜物ですね