毎週月曜22時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト:加来耕三/ リポーター:鳴海剛
私たち日本人の心を捉え、いまだ衰えぬ人気を誇る『忠臣蔵』。この物語の 主人公は、皆さんご存知の大石内蔵助。 しかし、この事件の仕掛け人は、なんと内蔵助ではなかったのです。その陰で、 シナリオを練って演出した、ナンバー2の存在があったのです。 今回のナンバー2は主演・大石内蔵助。演出・堀部安兵衛。その出会いから、二人の人生の幕が下りるまでを追いかけます
安兵衛は、もともとは赤穂藩の出身ではありません。堀部安兵衛は新潟・ 新発田藩の由緒ある家柄のもとに生まれました。しかし、幼くして両親を 亡くし、19歳で江戸へやってきました。 ある日、安兵衛を一躍有名にする事件が起きます。それがご存知「高田馬場の決闘」。安兵衛は助太刀として参加。事実は相手方3人を斬り倒しただけですが、この噂は瞬く間に尾ひれ背びれがつきながら伝わり、ついに「十八人斬り」となり、安兵衛の名は江戸中に広まりました。
「中山安兵衛殿をうちにお迎えしたい」と安兵衛のもとに凄腕の噂を聞いた 大名家の使いが殺到します。そして、安兵衛は赤穂城主・浅野家の家臣、堀部弥兵衛の娘を妻とし、堀部家の養子になります。こうして、赤穂藩士・ 堀部安兵衛が誕生したのです。そして安兵衛が浅野家の家臣になった7年後、いよいよ忠臣蔵の幕が上がります。 、重用するようになります。正之は家光の期待と恩に応え、家光亡き後も家綱と徳川家のために忠誠を誓うのです。
元禄十四年 三月十四日。赤穂藩主・浅野長矩が吉良上野介に対して殿中で刃傷に及びます。浅野は即日切腹。さらにお家は断絶、領地は没収され、安兵衛をふくめ赤穂藩士はすべて失業という厳しい処分が下されました。
赤穂藩士たちはそれぞれの決断を迫れられます。お家再興を望む内蔵助派と討ち入りを望む安兵衛派。内蔵助を説得する安兵衛を後押ししたのは江戸の世論でした。当時の江戸は「商人よりも武士の値打ちが下がった時代」その中で「武士はそれでも立派なんだと表明したい人たち」が幕府にも大勢いたと作家の加来耕三さんは言います。そんな人たちの思いが、内蔵助を奮い立たせるに至ります。命を捨ててまで武士道を貫いた安兵衛ら赤穂藩士。太平の世を迎え武士がその存在意義を薄めてゆく過渡期における、「最後の武士」だったのかも知れません。
吉良上野介は意地悪でケチで悪いヤツ、
浅野長矩は真面目で可哀相なお殿様、なんて思っていましたが
史実と物語が混ざって記憶されていることが良くわかりました(汗)
「忠臣蔵」のお話があまりにも有名なために混同してしまったんですね。
でも!物語の要素を排除しても“武士のアイデンティティ”をめぐる
四十七士、幕府、江戸の世論の駆け引きに興奮☆しました!