毎週月曜22時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト:井沢元彦/ リポーター:TAIGA
THEナンバー2 今回は毛利元就の実の子であるナンバー2、小早川隆景。
戦国屈指の策略王と言われた隆景を育てた「三本の矢」の教え。
一本では折れやすい矢でも三本の矢を束ねることで折れにくい。
この話、父である毛利元就が息子達三人に向けた話だと言われていますが、実はある裏の意味が隠されていました。その本当の意味とは…。毛利家の三男に生まれ、三本の矢の宿命を背負った隆景の生き様にせまります。
毛利家が中国地方の統一のはじめの一歩となったのが、厳島の戦いです。 実は圧倒的に戦力が少なかった毛利家は三千の兵。それに対し敵対する陶軍は二万。戦力の違いはおよそ7倍もありましたが、父・毛利元就はある作戦を練っていました。しかしその作戦を猛烈に非難した隆景。兄・隆元、元春をも怒らせてしまいます。実はこれは隆景の演技。なんと毛利元就と組んだ芝居だったのです。歴史に名を残す戦となった厳島の戦い。その舞台裏に注目です。
病床に臥した毛利元就は、その枕元に隆景たちを呼びこう言いました。
「自分の死後は、中国十ヵ国を守り、決して天下の戦に関わってはならぬ」。それを遺言に元就はこの世を去りました。しかし天下統一の舞台に引きずり出そうとする男がいました。その名は織田信長。そして信長の中国方面司令官としてやって来たのが羽柴秀吉でした。中国地方の覇権対決に打って出た隆景。備中高松城に向かう隆景の見たものは秀吉の行った川の水を利用した水攻め。城を水で包囲してしまうのです。これには策略家と言われていた隆景も驚いたことでしょう。しかしその裏で本能寺の変が起きます。天下分け目の戦に隆景はある賭けをします。果たして凶と出るのか吉と出るのか…。
秀吉に仕えた小早川家。あるとき秀吉から甥の秀秋を毛利家でもらって欲しいという話が持ちかけられます。実はこれは毛利元就が小早川家・吉川家に自分の子供を養子に出し毛利家の支配に置いたように、秀吉も毛利家を乗っ取る作戦ではなかったのではと、作家井沢元彦先生はおっしゃいます。それを防ぐべく隆景は小早川家に秀秋を養子にもらいうけ、本家の毛利家を守ろうとしたのです。その後隆景は病死。関ヶ原の戦いで西軍を裏切った秀秋は2年後に亡くなり天下の戦に関わった小早川家は滅んでしまいます。
ご存知、あの「三本の矢」の毛利家のお話。
2児の母となってこのエピソードを聞くと
今までとは全く感じ方が違うのが不思議。
父 毛利元就は3人の男の子の特性をみて
適材適所に養子に出したため勢力を拡大しました。
こういう風に育ってほしいという願いを子どもに押し付けるのではなく
その子の特性を伸ばし、生かしたってことですよね?
「個性を大事に」
それを見極めるためにも日々観察です。