THEナンバー2

毎週月曜22時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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井伊直政

ゲスト:童門冬二 / リポーター:中田あすみ


THEナンバー2 沢彦(たくげん)。乱世の革命児、織田信長のブレーンが「沢彦」だった。信長と禅宗の僧だった沢彦の出会いは信長の元服の儀。沢彦は信長の父、信秀から成人後の名前を考えてほしいと以来を受ける。いわば信長の名付け親が沢彦だった。その信長という名前は中国の慣習に基づき名づけられ、日本の天下人に・・・という思いがこめられていた。「信長」この命名の瞬間、戦国時代の革命児が「沢彦」とともに動き始めたのである。

うつけ者から革命児へ

 若い頃の信長は遊び熱心で勉強嫌いと伝えられるが、信長に「実学」を教えたのが沢彦。 僧呂であった沢彦は中国の文献や漢文を自在に読みこなし、儒学や天文学まで信長に教えていたという。信長は沢彦を信頼していた。うつけ者信長を物語る有名な事件に父の葬儀の時に起きた「抹香投げつけ事件」があるが、これも沢彦の指示で行われたという。父の代から自分の代へ。自分はまだ18歳だが自分の時代になったのだ、というパフォーマンスのために演出したのが沢彦だった。



「岐阜」の名付け親。

桶狭間の戦いから7年。信長は美濃を平定する。信長が最初にしたこと、それは当時、 「井の口」と呼ばれていたこのあたりの地名を変えること。相談された沢彦が3つの言葉を信長に提案「岐山 岐陽 岐阜」中国の文王が天下統一を果たす足がかりとなったのが 「岐山」。山では大きすぎるし、丸々真似でもあるので山よりは低い"丘"を意味する「阜」を選び井の口を「岐阜」に改名した。沢彦は現在にも残る地名「岐阜」の命名者でもあった。

織田政権のスローガン「天下布武」

「武力を持って天下を治める」ともとらえられるこのキーワードも沢彦の進言だったと言われている。しかし、沢彦がこの言葉にこめた本当の意味は違っていた。沢彦が望んでいた真の「天下布武」とは「春秋左氏伝」に記された"七徳の武を備えた者が天下を治める"ことに由来する。「天下布武」は七徳の武を備える平和な国づくりを目指すものだった。明確なスローガンを得た信長は意外な形で沢彦にその喜びを伝えたという。 あの信長がひざまずいて沢彦にプレゼントしたあるものとは・・・。


ひとつの言葉との出会いによって
夢が生まれ 道が拓かれる。

無心論者といわれる信長の若いころの家庭教師が禅宗の高僧、沢彦です。 中国の文献に明るく 天文学の知識もあり若い信長は新しい知識をどんどん吸収したのでしょう。

その沢彦が信長に与えたスローガンが「天下布武」
信長の天下統一の野望は この言葉が力を与えたのではないでしょうか。
沢彦にとっても 自分の知識がグングン吸収されそして見事に実現されていく様は気持ちのいいものだったのでしょう。

人に力を与える言葉。
言葉を生業としている私にとって身の引き締まるエピソードです。