毎週月曜22時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト:井沢元彦 / リポーター:J I N
THEナンバー2、今回は徳川家康にとってわが子以上に大切な存在だった井伊直政。
関が原の戦いで、直政が家康の四男・忠吉とともに怪我をしながら家康の前へ報告にあがったときのことです。家康は驚くべきことに、自分の息子をさしおいて井伊直政の腕をとり、その怪我に薬を塗ったといいます…。
家康は直政を愛し、ナンバー2に育て上げようとしていました。その理由に迫るとき、直政の影には母の存在が浮かび上がるのです…
戦国時代、井伊家は12万石を支配、今川義元を支える名家のひとつでした。しかし、
直政が2歳のときに事件は起こります。一人のある家老のウソが原因で、直政の父が殺されてしまうのです。
嫡男の直政の命も狙われるのですが、母は苦渋の決断を下しました。なんと、直政を寺に預け、自分は他家へと再婚し姓を変えたのです。
井伊家を必ず再興させなければならない、と直政に教えながら…
家康が鷹狩りに出かけたときのこと。道端にひざまずく15歳の直政に家康は目を留めました。 直政は浜松城で自分の出自を語ると、家康はすぐさま300石で召抱え、井伊の名を名乗るよう命じたのです。
そのことを知った母は喜びましたが、親子の再会までにはまだ数年の年月が必要でした…
本能寺の変勃発。家康は三河に戻るため山中を走りました。そのとき直政は命を懸けて家康に仕えることを決心。逃げる途中、ある神社に赤飯が供えられていました。皆が争うように食べる中、直政だけは手をつけません。なぜかと問う家康に対し、直政は「斬り死にした時に、
飢えのあまり供え物を食べたといわれると、殿に恥をかかせることになる。」と言ったといいます。
この一言で、譜代の大名たちも直政に一目置くようになり、家康も、直政をナンバー2として育てる決心をさせたのです。そして直政は小牧長久手の戦いで大活躍。
井伊家の名が天下に轟くのを見届けた母は、その生涯に幕を閉じました。これから、というときに直政も病死するのですが、その後も井伊家は代々、徳川幕藩体制の中で重要な役割を果たしていくことになります。
今回はすっかり直政の母の目線です(^_^;)
井伊家は平安時代からの名家ですが、名家に嫁いでもそれで安泰というわけではなかったのですね。
夫が惨殺されたその日から急転直下の激変。
敵の影におびえながら幼子を守る逃亡生活は、それまで以上に 母子の絆を深めたのではないかと想像できます。その後 出世したわが子をそばで祝ってあげられなくても結果的に自分の再婚によって達成された家の復興とわが子の成長に自らの選択が正しかったとの思いを強くしたのではないでしょうか。
「母、強し」 そして子にとっては「母は永遠」ですね。