毎週月曜22時オンエア
綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。
TOPへ戻るゲスト:井沢元彦 / リポーター:福島彰吾
THEナンバー2 第6回は家康の頭脳となった男、本多正信。武力を誇る家康軍団の中に あって稀有な知性派でした。本多正信は家康のブレインとなり天下人を支え、 家康が目指した「日本の平和と恒久化」その大きな課題を補佐しました。 正信なくして徳川長期安定政権を築く事は不可能だったのです。
正信のたぬきぶりにはこんなエピソードがあります。家康がある相談を正信に持ちかけると
、なんと正信は居眠りを…。これはその意見に不賛成の時にとるポーズでした。このポーズをとることによって、家康に再考を促したのです。家康が考え直した意見に対し、意に添ったものである場合に限り、眠りから覚めたふりをしながらその意見に賛成したというのです。主君に直接ノーと言わないナンバー2ならではの配慮でした
。
正信が家康のブレインになるまでには長い年月が必要でした。一向一揆が三河地方で起きたとき、正信は一揆側の武将。家康とは敵として戦っていました。その後諸国を流転した後、家康に帰参したのです。その間、実に19年。家康の周りに集まる武力最強軍団の中、経験や頭脳の面で秀でた正信はひときわ光っていたのでしょうか。長い時間を経ても、家康にとって正信は必要なブレインだったのです。
家康は正信を関東総奉行に任命しました。
街づくりをまかされた正信は、まず江戸を政治、商業の中心にすえることから始めました。政治の中心、天守閣と商業の中心日本橋の間に堀を掘削。それぞれの堀には独自の工夫が施されていました。日本橋を船で進むその先に見えるもの、それは日本を象徴するあの山でした…
もともとの職業は鷹匠でしたが、一向一揆に加担し家康に一度は弓を引きました。一揆が和睦した後は 家康に帰参せず19年もの間放浪。
19年、って!!長すぎです。
この19年もの放浪が異色の経歴となり、天下統一後大局的な視点が必要となった家康になくてはならない存在となりました。