日本列島の北部、東北地方。古来、都から遥か遠い“みちの奥”であることから“みちのく”と呼ばれてきました。
戦国時代、東北最強の戦国武将、伊達政宗がこの地を大きく変えます。政宗は、統治した仙台とその周辺に、都に負けない文化の花を咲かせようとしました。後に、歴代藩主は、その美意識を受け継ぎ、城下の庶民にも広がりました。人々は、それを伊達な文化と呼びました。
今も、息づく伊達な文化とは。東北の地に、花開いた煌びやか伊達な文化を紹介します。
東北地方第3の都市、福島県郡山市。約150年前まで、その大部分は、流れる川がなく荒れた大地が広がっていました。
郡山を変えたのは、1本の水路、安積疏水でした。猪苗代湖から130キロに及ぶ水路の整備と開拓は、明治の日本が国家予算の三分の一をかけた一大プロジェクト。水路によって、郡山は、実り豊かな大地に大きく変貌します。
この近代郡山の礎を築いた水路には、明治政府の中心人物、大久保利通と、郡山の人々の夢の物語が秘められていました。その物語とは。