古代中国の歴史書「魏志倭人伝」にはいくつかの日本の「国」の名前が記されています。邪馬台国に並びそこにあったのは壱岐、そして対馬でした。
朝鮮半島からわずか50キロ。ここは外国の文化の玄関口であり、最先端都市でした。そして中国への玄関口、五島列島。遣唐使船はここから中国へ向け出発し、日本の精神の基盤ともなる仏教や科学技術を持ち帰りました。島には、荒海へ乗り出した古代の人々の生前墓などが残ります。
命を賭してでも外国との架け橋になろうとしたその苦難の道と夢の跡を辿ります。
富山県高岡市は江戸時代に加賀前田家が作った城下町です。しかし、ここを居城とした前田家2代当主利長は、築城まもなく病死。高岡城には後継の城主が入ることもなくわずか6年で廃城となりました。
しかし、城下町そのものはその後も消滅せず、“主(あるじ)”なき城下町として発展を続けました。その歴史を象徴するものに、毎年春の「高岡御車山(みくるまやま)祭り」があります。
華やかな山車の装飾に潜む秘密に迫ります。