#15 しあわせのかたち 2014年1月15日(水)放送

アンデルセン「人魚姫」&宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

宮沢賢治 写真提供:林風舎

ゲスト

小説家 高橋源一郎

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名作童話に描かれた「幸せのかたち」

時代を超えて読み継がれる物語「童話」。かつては、言い伝えや民話を元にしたおとぎ話にすぎなかった童話を、文学にまで高めた二人の作家がいます。一人は世界的童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセン。『親指姫』『みにくいアヒルの子』『マッチ売りの少女』など、200を超える童話を生み出したメルヘンの巨匠です。そしてもう一人が、ふるさと岩手の自然の中から、幻想的な童話を次々と紡ぎ出した宮沢賢治です。その鮮烈な感受性によって描かれた神秘的な作品は、世紀を超えてなお、多くの読者に影響を与えています。

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絵:Eska  アプリ「森のえほん館」より

アンデルセンの『人魚姫』

1837年に発表されるや、アンデルセンの童話作家としての名声を不動のものとした傑作、『人魚姫』。愛する王子を思って、ひっそりと身を引く人魚姫ですが、人魚と人間との間に横たわる「越えられない壁」にアンデルセンは、「階級の違い」ゆえに成就しえなかった自らの失恋の記憶を重ねていました。
『人魚姫』の中で人魚は、人間の姿に変えてもらう引き換えに、自分の美しい声を失います。また物語の終盤で人魚姫は再び、王子を殺して人魚に戻るか、それとも自分が海の泡となって消滅するかの選択に迫られます。結果的に人魚姫は、愛する王子の幸せを願って自らの命を投げ出しますが、アンデルセンがここで描いたのは、度重なる「選択」と、その末の「救済」でした。
いかなる困難を伴おうと、自らの意志を貫くことの大切さ。アンデルセンは『人魚姫』の結末に、「空気の精」となって天へと昇るという「救い」を用意することで、苦難と戦う人々を励まそうとしたのかもしれません。

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絵:清川あさみ  提供:リトルモア

ほんとうの幸い(さいわい)をさがしにいく・・・『銀河鉄道の夜』

宮沢賢治の死の翌年(1934年)に発表された日本の童話文学の傑作「銀河鉄道の夜」。貧しい少年ジョバンニが、親友カムパネルラとともに、銀河鉄道に乗って旅するという幻想的な物語です。ジョバンニは銀河鉄道の旅を通して、この世から去ってゆくカムパネルラと最後の時を過ごします。この生者と死者との対話を描いた『銀河鉄道の夜』の背景には、賢治の最大の理解者であった、妹トシの死がありました。なぜ妹は、自分を置いてこの世界から旅立ってしまったのか・・・なぜ自分ではなく、妹が死なねばならなかったのか・・・。

アンデルセンの『人魚姫』が、自分の命と引き換えに愛する人の幸せを祈る者の物語であったとするなら、賢治の『銀河鉄道の夜』は反対に、死にゆく友人から「生き抜くことを託された」少年の物語だと言えます。他人のために命を投げ出すこと、あるいは投げ出された命に代えて自分の生を貫くこと。『銀河鉄道の夜』のラスト、かすかな希望を胸に牛乳を抱えて家へと走るジョバンニの姿に賢治は、「幸福を探し求めて生き続ける決意」を託したのかもしれません。

日比野克彦

日比野の見方「水中からのメッセージ/
  宇宙からのメッセージ」

日比野の見方 アンデルセンは『みにくいアヒルの子』や『人魚姫』のように、水面から地上を見上げる視点で物語を書いたように思う。水面は身近な存在でありながらも、『人魚姫』が命をかけて地上へと上がったように、「越えられない壁」の象徴でもある。一方、宮沢賢人の視点は、『銀河鉄道の夜』や『よだかの星』のように、天上から地上へと向けられていた。重厚な機関車がふわっと宙へ舞い上がってしまうような、賢治の軽やかな想像力を感じる。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

童話は基本的には子どものためのものですが、大人が読んでも味わい深いものですね。私も毎晩、子どもたちに読み聞かせをしているので「これってこういう話だったんだ」と再認識することがあります。私が子どものときには感じられなかったものが感じられたり逆に子どもたちのセンスにハッとさせられることもあります。いろんな読み方ができるというのも童話の大きな魅力ですね。しかし今回、大きな誤解をしていたことに気がつきました。それは「みにくいアヒルの子」の解釈!私はずっといじめられていた白鳥が最後にアヒルを見返す話だと思っていましたがアンデルセンがお話に込めたメッセージは「自分を受け入れてくれる環境は自分自身で探そう」というもの。どういう解釈で子どもに読み聞かせるかってかなり責任重大ですね…。