#12 妻の肖像 2013年12月18日(水)放送

ピエール=オーギュスト・ルノワール「金髪の浴女」&アメデオ・モディリアーニ「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」
ゲスト

批評家 布施英利

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夫の芸術を創り上げた二人の「妻の肖像」に迫る!

いつの時代も、多くの巨匠たちが描いてきた「妻の肖像」。その中でも、19世紀末〜20世紀初頭にかけて、巨匠の芸術を創り上げた二人の妻の美しい「肖像」があります。一つは、ピエール=オーギュスト・ルノワールの妻、アリーヌを描いた「金髪の浴女」。繊細なタッチと温かみのある色彩で妻の美を最大限に引き出した傑作です。そしてもう一つが、夭折の画家アメデオ・モディリアーニが、妻ジャンヌを描いた「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」。不自然に曲がった首に伸びた顔、そして瞳のない眼…なんとも奇妙なこの肖像画で、妻の魅力を余すところなく描きあげました。今回は、妻を描くことによって自らの画風を創り上げた二人の巨匠の美学に迫ります!

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ルノワールが描いた妻・アリーヌの肖像

光を描く“印象派”の巨匠として有名なルノワール。妻アリーヌと初めて出会ったのは、そんなルノワールが印象派の手法に悩んでいた頃でした。彼女のふっくらした姿を一目で気に入りモデルにしたルノワール…しかし人物を描こうとしても光のきらめきを様々な色彩を駆使して表現する印象派は、反対に人物を描くとき背景に溶け込んでしまいます。悩めるルノワールはルネサンス発祥の地イタリアへと旅立ち、ラファエロの作品に出会います。人物は輪郭線でくっきりと縁どられて躍動感に満ちている…「こんな肉体を描きたかった」と感銘を受けたルノワールはすぐさまアリーヌを呼び、浮き出るほどに豊満で輝く裸体画「金髪の浴女」を描きました。その後暮らしを共にするうちに、田舎出身のアリーヌの大らかで素朴な人柄に触れ、その内面の輝きを描き込むことこそがルノワールの大切なテーマとなっていきます。そしてついに一枚の傑作が生まれます。それが「母と子」。アリーヌの出産を機に、彼女の母として生命感あふれる姿と女性としての幸福に満ちた表情を描き上げ、以降、ルノワールは生きること自体を喜ぶような「幸福感」を生涯追求することになったのです。

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モディリアーニが描いた妻・ジャンヌの肖像

20世紀初頭、ピカソやマティスなど新進気鋭の画家がパリに集まる中、イタリアからやって来たのが若き日のモディリアーニでした。しかし絵は売れず、独自の表現も見つからず、酒と麻薬に溺れていきます。そんな中当時パリに持ち込まれた「アフリカ彫刻」を目にしたモディリアーニは、西洋美術にはない単純化した造形に、力強さと神秘性を感じます。衝撃を受けたモディリアーニは以降彫刻に没頭します。しかし粉じんによって持病の肺結核を悪化させ志半ばで断念…。苦悩の末に得た自分だけの表現方法を失い絶望する中、一人の女性が現れます。長い首と切れ長な瞳、そして不思議な雰囲気を醸し出すジャンヌでした。彼女にアフリカ彫刻のような神秘性を感じたモディリアーニは彼女を描き続けます。そして生まれたのが「大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌの肖像」です。異様なまでに伸びた顔と首に曲がった体…そして瞳のない眼。極端にデフォルメしたジャンヌの瞳をなくすことで彼女の個性を消し、特定の女性に留まらない美に到達させようとしたのかもしれません。こうしてモディリアーニはジャンヌを通じて時代を越えた「普遍の美」を追い求めていったのです。

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妻というミューズはどのように巨匠を支えたのか?

画家としての名声を得た晩年のルノワールにとって、アリーヌは陰で夫の制作を支える「画家の妻」となっていました。しかし彼らに悲劇が起こります。ルノワールの持病のリューマチが悪化し筆を握ることができなくなったのです。アリーヌは毎日夫の指に筆を挟んで布で巻きつけ、病を患ってもなお描こうとする夫の創作意欲を支えようとします。しかしそんなアリーヌも実は糖尿病を患っていました。夫を案ずるあまりに病を隠し続けたアリーヌは56歳で帰らぬ人となりました。死の5年前に描いたアリーヌ最後の肖像画を、ルノワールは片時も離さず傍らに置いていたと言われています。
一方モディリアーニとジャンヌにはある嬉しい出来事がありました。ジャンヌの妊娠です。しかしいまだ絵が売れず家計が厳しい二人は子供を里子に出します。さらにモディリアーニの結核も悪化します。それでも絵筆を握り続ける夫に、ジャンヌができることはモデルであり続けることでした。そんな彼女を描いた「ジャンヌの肖像」はまるで聖母マリアに見立てたかのように神々しく描かれています。その後モディリアーニは35歳の若さでこの世を去ります。ジャンヌも夫の死の二日後、身を投げて命を絶ちます。モディリアーニの最期の言葉に導かれるかのように・・・「天国までついてきてくれないか。そうすればあの世でも最高のモデルを持つことができる」

日比野克彦

日比野の見方「絵の中と外の世界」

日比野の見方 絵に描いている妻と暮らし、妻を描くことで現実の妻に語りかける…そんな絵の中と外の世界が重なりあう関係が“妻と画家”なのだと思います。そして彼らにとって絵画というものがメッセージカードだったのかもしれません。絵画というものは描かれているものの外の世界や、それを見ている人との関係から生まれてくるものであり、それがたとえ名画であったとしても、夫婦の間では単純にコミュニケーションのひとつの空間として存在していたのかもしれないと思いました。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

“画家が妻を描く”ということは日比野さんによると「あまりないこと」だそうです。意外でした。身近な女性なので格好のモデルだと思うのですが、「人物を描く画家で、しかも描きたいモデル像と妻が一致することがとてもまれ」らしいです。ルノワールの描いた妻アリーヌを見ていると、2人の人間関係まで透けて見えるところがあります。一連の絵のアリーヌの表情は、娘時代は少し不安気→母になり満ち足り→貫禄の中年女性の表情、に変化しているように見えました。視線の先には絵筆をふるうルノワールがいたはずで、お互いのやさしい視線を感じることができます。ジャンヌの絵のほうもモディリアーニは放蕩夫ですが、そのモデルになる喜びというのも確かに感じられる作品です。夫と妻、描き描かれることで特別な時間を積み重ねたのですね。