#7 恐怖の映像美 2013年11月13日(水)放送

アルフレッド・ヒッチコック&溝口健二

「サイコ」写真提供:ユニフォトプレス
「雨月物語」写真提供:KADOKAWA

ゲスト

映画監督 中田秀夫

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20世紀半ば映画黄金期に生まれた恐怖の二大名作

映画100年の歴史の中でもひときわ尊敬を集める2人の巨匠。アルフレッド・ヒッチコックと溝口健二。“サスペンスの神様”と“女性映画の名手”。作風の違う2人が円熟期の挑戦作に選んだ題材が同じ「恐怖」でした。実際に起きた事件を元にした推理小説を原作に世界中の映画館に悲鳴を起こしたヒッチコック監督の「サイコ」。江戸時代の怪奇小説を原作に美しき亡霊の世界を描いた溝口健二監督の「雨月物語」。半世紀を超えてなお輝きを放つ2つの金字塔的名画からそれぞれの「恐怖の映像美」に迫ります。二大巨匠の魅力をともに紐解くのはハリウッドも席巻したJホラーの旗手、「リング」や「クロユリ団地」で知られる映画監督の中田秀夫さんです。

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ショックを与える「サイコ」と静かに美しい「雨月物語」

1960年公開された「サイコ」。観客を驚かせたのは映画の始まりから登場するジャネット・リー演じる女性マリオンが、中盤のシャワー中に突然、理由も分からず殺されてしまうことです。「サイコとはどんな映画か?」と聞かれ「ホラー(恐怖)」だと明言していたヒッチコックがこだわったのは観客にショックを与えることでした。そのため今や伝説的恐怖シーンとなったシャワー中の殺人シーンには力を入れ、1か月の撮影期間のうち6日間をかけました。しかし当時は性や暴力に関する表現に規制があったので、体が刺されるところや、裸体から血が流れる直接的表現はできませんでした。そこでカメラアングルや編集の工夫でショッキングな映像を見たように観客に錯覚させたのです。かつてないショッキングな「サイコ」は話題を呼び、前作「北北西に進路を取れ」を超えヒッチコック最大のヒット作となりました。

一方、「映画を娯楽から芸術に高めた」と称えられる日本映画界の巨匠、溝口健二は静かで美しい恐怖を「雨月物語」で描き出しました。1953年のベネチア国際映画祭銀獅子賞をはじめ、海外でも高い評価を得た本作は、西洋のホラー映画にはないゆっくりとしたカメラワークや照明、そして能を思わせる演出で、日本の繊細な美意識を世界に伝えました。映画評論家の左藤忠男さんは「雨月物語」の恐怖には“情味”があるといいます。主人公の源十郎(森雅之)にとり付く美しき亡霊、若狭姫(京マチ子)の不幸な物語には同情の余地があり、西洋のホラー映画に登場する悪魔的存在のように絶対的悪として描かれていないのです。当時の映画界で能や歌舞伎などの古典芸能を最も研究していた溝口健二の日本文化を重んじる心が生んだ情け深い恐怖。それが「雨月物語」を映画史に残る傑作にしたのです。

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ノーマン・ベイツとヒッチコック映画における“母”の存在

ヒッチコックが生んだショッキングな恐怖を象徴するキャラクター、ノーマン・ベイツ。原作では「節操がない肥満体の酒飲みで、覗きもする好きになれない嫌なタイプ」と描写されていたノーマン・ベイツを演じたのは「緑の館(1959)」でオードリー・ヘップバーンの相手役もつとめた美青年アンソニー・パーキンス。この配役が、ベイツが内面に抱える闇をいっそう引き出しています。敬虔なカソリック教徒の母から厳しい躾と溺愛を受け育ったヒッチコック。母親に対し、複雑な思いを抱えていたとも言われています。
ヒッチコックを研究している関東学院大学文学部准教授の碓井みちこ先生はヒッチコック映画において、男性主人公は「金髪の美女と母との間で揺れる存在」として描かれることが多いと言います。「見知らぬ乗客」「マーニー」など、母親が大きな存在を占めるサスペンス映画も手がけてきたヒッチコック。「北北西に進路を取れ」には息子を大人扱いしない母親が登場。「めまい」に登場する主人公の女友達はまるで母親のようにふるまい、不思議な存在感を示します。母親は愛情深い存在であると同時に抑圧のシンボルでもあるのです。そして母と息子のゆがんだ関係が物語の中心となったのが「サイコ」。「母と子」の関係が作り出す“心の闇”が「サイコ」の恐怖を、よりショックに高めたのです。

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聖母のようなヒロイン宮木に込めた溝口の思い

「雨月物語」には二人の亡霊が登場します。1人は源十郎にとりついた若狭(京マチ子)、もう一人は妻の宮木(田中絹代)です。物語の終盤、若狭から逃げ出し帰郷した源十郎が再開する宮木は夫を心配するあまり表れた亡霊でした。夫の留守中に落ち武者に殺されていたのです。亡霊になって登場する宮木は恨み言の一つも言わず、ただ温かく夫と子供をいたわり、静かに消えて行きます。評伝「溝口健二の世界」を著した映画評論家の佐藤忠男さんは、宮木に溝口を育てた姉の影響を感じると言います。溝口の少年時代、父親が事業に失敗して貧しくなった時に、芸者となって家計を支えた姉は溝口にとって特別な存在でした。自分や家族のために苦労した姉への思いから溝口は「女性に対する罪の意識」を生涯のモチーフとしたのではないかと佐藤さんは言います。特に晩年にはその思いから、虐げられ底辺を生きる女性たちを神々しいほど美しく描き、「雨月物語」や「西鶴一代女」、「赤線地帯」などの傑作を生んだのだと。女性への謝罪と尊敬 ― 溝口の女性たちへの思いがつまったヒロイン宮木は優しく静かに男の罪や欲におぼれる恐怖を伝えます。

日比野克彦

日比野の見方「目はどこにあるのか」

日比野の見方 ヒッチコックと溝口健二は「視点の使い方」のうまい巨匠だったのでは。目が横についている草食動物と、前についている肉食動物、追う者と追われる者、身を隠す側と探す側。実は誰もが狙われている。視点が変わるとあっという間に安定感あるものがすごく不安定なものに見える。鬼ごっこみたいに視点が変わるのが「怖いけど楽しい」という恐怖映画の魅力かもしれない。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

私は怖いものが大の苦手なので もちろん恐怖映画も苦手です。なぜお金を払ってまで怖い思いをしたいのか?という長年の疑問をゲストの中田秀夫監督にぶつけました。「人間の脳の中で一番奥の原始的な部分に 生殖本能と隣りあわせで外敵から身を守るところがあり 恐怖はそこに働きかけるからだと思う。」なーるほど。今はあまり使わないけれど危険を察知する本能を刺激しているわけですね。映画で怖い思いをして現実に戻り安堵する、ってことですかね…「サイコ」の音楽も「雨月物語」の悲しさも まだ余韻が残っています。あ〜コワッ。